私の最大の敵は、私自身でした。
私自身の意識です。
私の意識が私という存在を抹殺しようとしていました。
おわかりいただけるでしょうか、この感覚。
敵対心という言葉が先に浮かび、その意識を感じつくす。
敵対心の対極は、協調とか協力でしょうか。さらに、愛。
この流れを意識と共に感じながら瞑想をしていたら、私の背中の方から心臓に向けて、刃物でメッタ刺しをしている何ものかの存在を感じます。
そのメッタ刺しの張本人が私自身の意識なのでしょう。
過去生での記憶なのかもしれませんし、あるいは集合意識なのかもしれません。
セルフ・ネグレクト。
魂の力による自死。
それら、自分を徹底的に痛めつけて、存在をなくそうとする、深い憎悪、恨み、などもわいてきます。それらをただただ感じていきます。すると突然、霧がさぁっ~、と晴れるかのように、意識そのものがクリアになります。
きょうの作業はかなりヘビーでしたが、なんとか無事に終わりました。
私は私の意識の中で生きる屍から生きる命へと蘇ったようです。
意識エネルギーとのつながりを深めると、こういうことが実際におき始めます。
特に必要なテクニックは何もいりません。
ただ浮かんできたものを感じつくす。その意識エネルギーを自分のものとして統合する。それだけです。
時間は少しだけ必要です。
その後、「自己信頼」という意識がわいてきます。こちらは、私たちに与えられている叡智ですので、いただいておいて損はないし、まちがいもありません。
本当は、私たちの中に元々備わっていたものなのです、自己信頼も、愛も。
このストーリーに興味のある方は、ここ数日のエッセイをさかのぼってご覧いただくとよいかもしれません。
すべてが流れ、であることがおわかりいただけるのではないでしょうか。
ふぅ。
ちょっと疲れてしまったので、一旦、執筆終了とさせていただきますね。
※ 追記
今、ハート周辺でヒーリングが起きています。
もしかしたら、ハイハート・チャクラ、あるいは胸腺チャクラの活性化かもしれません。
胸腺チャクラは愛と免疫力を司るチャクラ。その愛は無我の愛、とのことでしたね。
となると、当エッセイでの心臓へのメッタ刺しのイメージ、これは集合意識なのかもしれないのです。
集合意識とは言葉の通り、複数の人の想念が人格的エネルギーをもって何らかの形を創り出してしまっている意識のことです。
もちろん目には視えませんが、自分の意識の中で漠然としたイメージが湧き上がってくるようになっているものです。
複数の人が過去において、「自分は生きる屍だ」との潜在意識をもっていたとします。潜在意識ですから無意識の範疇です。
そのエネルギーが行き場を失い、ふと私につながってくれて、外への解放を望んだとしたら。
そして今度は、「自分は生きる命だ」と自分自身の存在意義を書き換えたとしたら。それが集合意識だとしたら。
少なくともそこに何らかの愛が発生します。
その愛が複合的であればあるほど、無我レベルの愛に近くなる。
つまり、集合意識につながり、それを統合すると、そこに個人の域を超えたさらなる愛がもたらされるということです。その愛のことを、心理学者ユングは、「自己実現」と名付けたのかもしれません。
愛が私たちに、本来の力を思い起こさせてくれる、ということのようですね。
私に起きているハートのヒーリングは、まったく「無意識」のうちにもたらされたものです。自分ではなんの設定もしていません。
起こるがまま、なるがまま、流れのままに任せて。