動物霊、と聴いてあなたはどんなことをイメージしますか。
私は最初に、この言葉を聴いた時、動物君は悪さをしないでしょ、とピントの外れた意識をもちました。
動物霊とは、その対象動物がお化けになる、というようなものではなく、人間の「負」のエネルギーがかたまって、その動物に象徴される傾向が顕著になってあらわれる意識エネルギーのことを言います。
わかりにくいかもしれませんが、例えば猫が化け猫になって人に悪さをする、というようなものではないということです。
動物霊へのヒーリングは、愛のエネルギー・ボール。
通常、私のように遠隔でヒーリングをする場合は、お相手の了承を得なければなりません。
動物霊はどうだろう、と思ったのですが、愛のエネルギー・ボールなら了承を得なくても送っていいものなので、そちらの方が無難な気がしました。
早速、送りました。すぐに彼ら、正確にはそれらかもしれません、その意識エネルギーは浄化されていってくれました。
なぜ、動物霊にヒーリングを、と思ったのか、と言うと、実は動物霊がついているらしい人は案外多いもの。私はそれらを視覚的に感じたことはないのですが、ちょっとお付き合いをすると、その人のこころの加減から、「もしかして、この人、動物霊がついているんじゃないかな」と感じることがちょくちょくあるんです。
また、何かのキッカケでたまたまお邪魔したサイトの管理人さんに、確かに動物霊がついている、というエネルギーを感じることも少なくありません。
ということは。
逆説的に考えて、もしかして、私にも何らかの動物霊が関与しているとか ? そんなことを感じたのは初めてのこと。
そっか。
私は動物愛が深いタイプなので、もしかしたら同じだけ動物を嫌ったり、動物を恨んだり、の意識があるのかもしれない、と感じました。
にわかには信じられないでしょうけれど、これが潜在意識の真実です。
山と谷。光と影。光と闇。これらはすべて「対」で成立しています。たまたま、「光」の側面が顕在意識の中にあらわれたとしても、それと同じ分だけ「影」や「闇」が潜在意識の中に埋もれています。潜在意識は自分では感じられません。だから無いのかというと、そうではなくて、普通にしていたらただただ感じられないだけなのです。
この二極の原理、両極性を理解すると、なるほど、と思うような真実がいっぱい感じられるようになります。
動物霊もまたその流れで出てきてくれました。
そう、動物愛とアンチ動物意識は、「対」、表裏一体なのです。
たとえ、「そんなことはないわ。私は動物を心から愛しているもの」としか感じられなかったとしても。
例えば、ある人をこころの底から愛していたとします。その人との関係がうまくいっている時は、そこには愛しか存在しません。ところが一旦そのバランスが崩れて、相手の人に別のお相手があらわれて、一方的に関係を断ち切られ、連絡をしようものならストーカー扱いされてしまう。
そんな関係に陥った時、アンチのエネルギーが優勢になって、今度はその人を心から憎んでしまう。愛していたからこそ、憎しみも大きくなってしまう。
そんなお話は、映画や小説の中だけのことではないはず。
誰でもそうなり得る可能性があるということ。良い、悪いではなく、それが人間のこころのエネルギーの仕組みなのです。この場合は、「愛と憎しみ」が表裏一体だということですね。
私は小さい頃から動物に囲まれて生きていて、今も愛犬、愛猫と幸せな時間を共有させてもらっています。
その流れで著書も上梓させてもらっているし、カウンセリングなども行わせてもらっています。
そのすべてが「動物愛」であるのなら、何かのきっかけで「アンチ動物」のエネルギーに反転したらものすごいことになってしまいそう。
幸い、今までそれは出てこなかったので、ホッとしています。
でももしかしら、動物霊とまったく無縁ではないかもしれません。誰かにその意識を投げかけられていないか、と言えば確信は持てません。
そもそも、動物霊をいやなもの、と感じていたこと自体、動物霊に対して失礼だったと大反省。
動物霊はまぎれもなく、人間の意識のあらわれです。
その意識の一端に100%関与していません、と言える人はいないでしょう。今はそうでも、過去生でいつもいつも動物愛の中で生きていたとは限りませんから。
つまり、動物霊は「過去」人々が感じた意識が集合体となって、今の時代にも息づいている、という意識エネルギーに過ぎません。
その「過去」は「過去生」も含めて。「過去生」のことなんて、ほとんどの人がわからないわけですし、またご先祖さまが動物に対して一切いやな感情を抱いたことがなかったとも証明できません。
であれば、動物霊もまた自分の意識の一つとして捉え、しっかり受け止めることが大切なのではないでしょうか。
以前、動物霊がついているのでは、と感じた人とのエネルギー・コードを切ろうとした時、私が感じたエネルギーは、ものすごい淋しさでした。
その人は淋しくて淋しくて、動物霊でもいいからつながっていたかったんだろう、ということがわかりました。またそのエネルギーは冷たくて、温かみが感じられなかった。愛のハートではないということです。孤独感、孤立感。
「孤」という字が「きつね」であることに意味があるんだろうなとその時、感じました。
「淋しさ」は私たちの共通意識です。どんなにお友達や家族、パートナーに恵まれていても、淋しさが一切ない人はこの世には存在しません。自分ではその意識がなかったとしても。
ということは、誰でも動物霊と関わりがあってもおかしくないということではないでしょうか。
「私には関係ないから」
以前の私はそう感じていました。今は、「ごめんね、動物霊ちゃん、あなたのことを拒絶して。これからはしっかりあなたと向き合うから。あなたとより良い関係を築くから。あなたも私の大切な一部なんだもの」、そういう気持ちに変わりました。
拒絶ではなく受容。するとそこに愛が生まれるので、動物霊という意識エネルギーが暴走する必要はなくなります。
霊というと、どうしても悪さをするもの、というイメージが先行してしまいますが、意識エネルギーの集合体だよ、と思うと、「淋しかったね、つらかったんだよね」という想いになるのは、私だけでしょうか。
なぜなら、その一部は過去の自分なのかもしれないのですから。
動物霊ヒーリングは、思っていた以上にスムーズに進みました。ゴネゴネ感はありませんでした。動物、となっているだけあって、実はピュアな意識エネルギーなのかもしれません。
動物君は、「動物霊」に名前を貸すことで、私たちに「寄り添う」ことの大切さを教えてくれているのかもしれませんね。
あぁ、やっぱり動物君は愛の存在だ。
※ 追記
動物と暮らすというのは、本当にこころがやわらかくなるものです。
わが家に動物がいなかったら、主人とのケンカは、もっと深刻な方向に進んでいたかもしれません。
でも溺愛はしません。
彼らは私たちのパートナーなので、彼ら自身が対等の関係を望んでいるからです。
といっても、愛猫・海・うみにゴロゴロ言われただけで、イチコロの私なんですけれどね。