水子、と聴くと、ドキッとした気持ちになるのは女性ならではの感情なのでしょうか。
ここ数日、ハート・チャクラのヒーリングを続けていたところ、胸腺という言葉にでくわしました。
チャクラとは、インドのヨーガによる概念で、体内のエネルギー・センターのことを言います。誰にでもあるものです。興味がある場合は、ご自身でお調べいただくとおもしろいかもしれませんね。
胸腺とは肋骨の裏側、心臓の前にある「臓器」なんだそうです。まったく知りませんでした
この「胸腺」は免疫力を司る臓器であると同時に、愛のエネルギー・センターでもあるんだとか。
ハート・チャクラは個人的愛、胸腺チャクラは無我、大我の愛、と解釈する説があるそうです。一般的には、胸腺チャクラもハート・チャクラの一部と捉えることが多いようです。
さて、どうやら、その「胸腺」「胸腺チャクラ」のバランスが崩れていると、私たちは自己免疫疾患にかかることがあるらしいのです。愛のエネルギー・センターのアンバランスによって、本来なら自分を良い塩梅で守ってくれる免疫力が過剰に働き、自分を攻撃してしまう、「攻撃性優位」の状況を生み出してしまうということなのでしょうか。
調べてみると、その場合には、「水子の霊」が関係していることも少なくないと。その水子とは先祖代々のものだとしている説が見つかりました。
なるほど。ことの真偽はわかりませんが個人的にはストンと腑に落ちました。自分にはその想いがなくても、昔は「間引き」と言って、貧しさから子どもの数を減らす行為が行われていたと言います。
となると、「水子」の霊の存在は特別なものではなく、割と「あたりまえ」のものなのかもしれませんね。
よく言われるのは、水子の霊というのは、私たちを困らせてやろう、という性質のものではなく、ただ淋しくて残っちゃった、とか淋しくて優しそうな人についちゃった、とか、そういう感覚だというものです。
そう言えば私は以前「憑依体質」と呼ばれる体質で、しかも重篤。旅行などに行くと、急に足が痛くなって歩けなくなることが何回もありました。旅行から戻ってくると、霊能力のある友人に相談していました。たいていの場合、「ちっちゃな女の子がついてきちゃったのね」と言われ、今思えば浄霊のようなものをしてもらっていたのです。当時、霊のことやエネルギーのことはまったくわからなかったので、その友人がしてくれたのが除霊なのか浄霊なのかはわからず、またその方法論もわかりません。
エネルギーのことがやっとわかり始めた今、確かにそういうことはあるのかもしれない、と感じています。エネルギーの仕組みがわかったので、その向き合い方もわかり、ありがたいことに憑依体質そのものもセルフで克服させてもらっています。
数日前、たまたま開いたサイトに、あるタレントさんの中絶の話題がのっていました。その時には何も思わなかったのですが、もしかしたら「水子ちゃん」が何らかのメッセージを送ってくれていたのかもしれません。
早速、自分流のやり方で水子ちゃんにアプローチしてみました。私は霊が視えるとか、その存在をリアルに感じるということはないので、その子がいると想定して、お話をしました。
人に話しかけるのとまったく同じです。私の場合、このやり方で、亡くなった方の霊が残ってしまっている場合の浄霊は、ほとんどうまくいきます。
今回もすんなりと私の中から、ある「エネルギー」が昇華されていきました。
しかもプレゼント付き。
多分その水子ちゃんだと思うんですが、水子ちゃんの浄霊が終わったら、「あなたは自分を安売りしすぎているのよ」といった概念を私に知らせてくれたのです。
ものすごく早いお返し。ありがたくちょうだいし、その感覚を感じきりました。
すると今度はどうもお友達らしい水子ちゃんを私の所に連れてきてくれたようで、深層心理学の理論でいうと「集合意識」につなげてもらいました。たくさんの水子ちゃんの集合意識です。
それを感じていると今度は、もっと重苦しい、哀しい意識。それは女性側の「罪悪感」でした。この世に命を送り込めなかったことへの深い「罪悪感」、これも集合意識です。それがドドドっと押し寄せてきて、かなりヘビーでしたが、なんとか感じきりました。
一連の癒し作業が終わったら、私の子宮・卵巣が軽くなっていました。
私は数年前、重篤な子宮腺筋症になり、症状的には完治することができていたのですが、何らかの意識エネルギーは残っているようで、時々左側の多分卵巣あたりがチクチク痛むことがあったのです。その痛みがさぁっとなくなっています。ということはあの痛みは、私の個人的ハートの痛みというより、女性全体の「罪悪感」の痛みをキャッチしていたものなのかもしれません。
私たちは、エネルギーですべての人とつながっているという説があります、ここまでは自分の意識、ここからは人の意識、というように線引きはなかなかできません。誰かの意識は自分の意識でもあり、自分の意識が誰かのところにお邪魔していることもある。過去の意識も今の意識に紛れ込んでいる。そういうことなのかもしれませんね。
水子のお話、というのは一般的にはタブー視されるもの。私も今まではそう感じていました。
実際、水子ちゃんらしき意識エネルギーとコミュニケーションをとって、これはお伝えしていくべきものだと感じました。水子ちゃん自身がそれを望んでいるのだろうと。
水子の霊というのは、お母さん側の「罪悪感」が彼らをこちらに引き留めてしまっているものなのかもしれません。その「罪悪感を手放して」。水子ちゃんたちはそれを望んでいるような気がしたのです。
そう、水子ちゃんの存在を感じたら、それは一般的に言われている「鎮め」のようなものが求められているのではなく、もっと大きな愛に満ちたものゆえのことなのではないでしょうか。
「恐れ」より「愛」。
それが免疫力とつながっているとしたら、お話がスムーズに理解できませんか。
「恐れ」が勝ってしまった時、私たちは自分を攻撃する「自己免疫疾患」を招きやすい。
「愛」が勝っている時は、免疫力がうまい塩梅に自分をまもってくれる。その愛は、個人的範疇をこえた、さらなるでっかいスケールの愛。
そのさじ加減は自分自身が一番よく知っている。
そのことを伝えるために、「今」、先祖代々の家系的水子の霊が私のところにつながってくれたのかもしれません。ということは、彼らは「愛の精霊」だということにはならないでしょうか。私たちが恐れに満ちていれば彼らは恐れの対象になり、愛に満ちていれば彼らの愛に共鳴できる。
水子の癒やしは、人に対する癒しと同じです。私たちと彼らは対等の関係。お互いにお互いを尊重し合いながら、彼らが安心してあちらの世界に還ることができるように、愛をもって話しかけるだけ。
邪魔だから追い払う、というような考え方はフェアではありません。
例えば亡くなったペット君がこちらでさまよってしまっているらしいと感じたらどう話しかけるか、亡くなったお友達や家族がこちらでさまよってしまっているのかも、と感じたらどう話しかけるか、それを思い浮かべれば誰でもできるはず。
私たちの「愛のみせどころ」、なのかもしれませんよね。
ハート・チャクラから始まって「胸腺」「胸腺チャクラ」につながり、それが愛と免疫力のお話へとつながりました。
それを導いてくれたガイドさんが今回の場合は「水子」だったということです。
「胸腺」をはじめてこのタイミングで知った、ということは、私の中の「恐れ」が減って「愛」が芽生え、結果として免疫力が上がったよ、というメッセージをもらえたということなのかもしれません。
そう言えば霊というのは、意識が複数集まって「人格」的エネルギーを持ってしまったもの。という話をどこかで目にした記憶があります。
そもそもが意識エネルギーであるのなら、その意識と対等に向き合えば、彼らとの関係も適切になるのかもしれないですね。
本来、私たちはほんのちょっと気持ちを整えれば、誰とでも、何とでもうまく付き合えるようにできているということなのでしょうか。
水子ちゃん、ありがとう。素晴らしい癒やしを体感・体験させてもらいました。
※ 追記
当エッセイを書き終えた時の時間が「1111」でした。「11」の意味を調べてみたら水の神とのご縁のことが書かれていました。
だから「水子ちゃん」 ?
まったく恐怖心を感じないで水子ちゃんとコンタクトをとれたり、当エッセイを執筆できたりしたのは、その辺の「なにか」が関係しているためなのかもしれません。
水の神。それもまた意識エネルギーの一つなんでしょう。