ナデシコからのラブ・レター

撫子・ナデシコが咲きました。

 

なぜか、薄いピンクと濃いピンクが混じっています。

 

撫子は、個人的に好み、というほどの花ではありません。一昨年の晩秋に、寄せ植えのコンテナを購入し、そこに植えられていたお花です。

 

元々はピンク一色。一つのお花が半分は濃いピンク、半分は薄いピンクになっています。二つほど咲いているのですが、二つとも。

 

撫子の花言葉を調べてみました。

 

「無邪気」とか「純粋な愛」という意味があるそうです。

 

さらに、これだ !  と感じたのは、花名の由来として、ギリシャ語の「ゼウスの花」というもの。ゼウスとは、ギリシャ神話の最高神の名前。ゼウスが授けた純粋の愛、という意味ではないでしょうか。今回のメッセージは。

 

言葉を変えれば、私たちはみんな最高神、それはゼウスに限らず、あるいは「何」と限定されない何ものか、という意味であることも含めて、「それ」が創り出した愛の花。その愛はどこまでも純粋なものだ、という意味ではないかと。

 

ピンクの色は、まさしく「無条件の愛」という意味です。

 

半々に分かれているのは、「ハーモニー」「調和」の意味でしょう。

 

二つのことなる極のものが良い塩梅に調和しているよ、と。

 

女性性と男性性のハーモニー、が今の私には一番近いものなのかもしれません。

 

そして、それはすべての人に向けてのメッセージでもあるということです。

 

撫子、好みではないのに、なぜか二年続けて咲いてくれて、しかも、今年は昨年以上のメッセージを表現してくれました。

 

どんなちっちゃな花でも、いえ、小さい花ほど、そのメッセージは壮大で偉大なものになることを感じています。

 

小さな命。

 

私たちは、よく動物のことをそう言ったりもしますが、この世に小さな命も大きな命もありません。

 

どんな命も対等の価値をもって、この世に存在しています。

 

それは私たち一人一人も同じ。たとえ、権威ある立場の人がいたとしても、その人の方が人としての価値が上だとか、優れている、ということはありません。逆も然り、です。どんなに一見「不幸」「不遇」「不運」に感じられる命だったとしてもその価値は、他の命とまったく同じなのです。

 

すべて必要だから、この地球に存在しているのです。万が一、この地球を離れる命があったとしても、それはその命が必要とされる場がこの地球からあちらの世界に変わったに過ぎません。 

 

その違いは、「お役目」だけ。

 

命の重みはすべて同じ。そして、命の本質は純粋な愛、なのです。

 

撫子ちゃんからのメッセージの真意はそういうことなのかもしれませんね。

 

命の躍動感とともに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※ 追記

 

お伝えしたいことが山ほどあるのですが、執筆が間に合いません。

 

一つ言えるのは、私の中に「自信」が戻ってくれたということです。

 

新たな世界が「再構築」されました。

 

まぎれもなく、私にとっては「真実」の世界です。

 

自分自身の命への全幅の信頼をもって当エッセイを記すことができました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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