今年は「春」が早い。
そうお話したばかり。
なんと、家の近くの大島桜が咲き始めているではありませんか。このコは毎年、他のコより先に咲いてしまうコ。ふと空を見上げたら、花開いているのですからビックリです。
河津桜の桜林は、ほぼ満開です。
愛犬・華実とのお散歩で、本日、お初、となったのはさらに「ブラシの木」の花と「ツルニチニチソウ」の花。どちらもたくさんではなく、一つ、二つ。うっかりしていたら見過ごしてしまいそうな花君たち。そういえばこの間はアカツメクサも咲いていました。
わがベランダの「葉牡丹」も一つだけ蕾が黄色くなり始めています。葉牡丹の花言葉は、
「物事に動じない」
「祝福」
「利益」
「慈しむ」
「慈愛」
う~ん、なんだかとってもいい感じ。気のせいか「追い風」を感じるんです。なぜでしょうね。
そうそう。一年半前に突然倒れてフェイド・アウトになっていた太極拳の先生が今度「代行」なんですが、復活されるようなんです。
先生とは大島桜の桜林で何回もお逢いして、いろいろお話をさせてもらったんですね。レッスン中もすごくかわいがってくださった先生なので、これまた華実とのお散歩時に、桜林に足を運びながら、「そういえば太極拳の先生、どうしてるかな」と思ったばかり。その直後、家に帰ってスポーツ・クラブのホーム・ページをみたら、先生のお名前があって、なんというシンクロだ、と、感激してしまいました。
当時、先生の容態については一切教えてもらえず、レッスン仲間のおばさまたちの噂では、どうやら脳梗塞ではないか、とのお話もあったくらいで。もし、そうだとして、一年半後に復活した、ということはかなりのリハビリをされた、ということでしょうし、もし他のご病気だったにしても、「復活」「再生」のメッセージは力強く、やっぱり先生とはご縁があったんだわ、と一人勝手に喜んじゃってます。
久々の先生のレッスン、来週は絶対に行かなきゃ、と。もしかしたら、太極拳のレッスン自体、流れが変わるかもしれませんものね。
さらに。
ピラティス・レッスン、まもなく2年目に入ります。ピラティスのお蔭かな、と思うんですけど、お腹の両脇の方に「えくぼ」ができてるんです。その周りは確かに脂肪。なのに「えくぼ」。きょう、ピラティス・レッスンの日だったので先生に報告したら、先生もわがことのように喜んでくれました。
ピラティスは体幹を整えるエクササイズ。呼吸法が独特で、胸式だけど、肋骨をギュッと内側に寄せる形で、結果おへそ回りに力が入る感じになります。外の腹筋ではなく、インナー・マッスルを使う形。もしかしてその効果なんでしょうか。外側の脂肪は、有酸素運動をしてしっかり絞らなくてはいけないらしいのですが、お腹に「エクボ」って、なんかすごくかわいいでしょ。しかも両側。
脂肪プヨプヨのお腹でも、愛おしくなっちゃいます。
私はヨガ歴14年。いつもお話しているように、まったく身体が柔らかくならなかった、という落ちこぼれ組。ピラティスは1年だけど、少しだけ体幹が整ってきたし、このエクボだって想定外の変化。
ピラティスの先生曰く、「20回やると身体が変わります」と。20回はとうに過ぎているよな、と思うものの、それでも目に視える変化はやっぱり嬉しいものですね。
ピラティスでは骨盤あたりを植木鉢ととらえるんだとか。植木鉢がきちんと整っていれば、そこから幹がまっすぐ育つ。幹がまっすぐなら、枝も綺麗にのびる。ものすごくイメージしやすいですよね、その感じ。
とにかく、身体を元の形に近づけましょう、という理論なので、少しずつではあるけれど、ちゃんと効果があらわれてくれています。
ほんと、ピラティスはじめてよかった。
体幹が整うと、ヨガも太極拳もさらに楽しめるようになるんだそうです。運動音痴だから、他のエクササイズは無理だけど、それだけでも十分。あきらめかけたヨガも呼吸法メインの先生との出逢いで、自分流ヨガを楽しめるくらいの余裕が出てきました。
少しずつ、少しずつだけど進歩しているのは、今の季節のお花たちと同じ。
みんな毎日少しずつ少しずつ生命力の勢いが加速しているんじゃないでしょうか。
今年はちょっと違う、と感じていたけれど、季節がこんなに早く流れているなんて。私たちの身体も見た目的には「停滞」しているように感じる時でも、実は毎瞬毎瞬細胞は生まれ変わっていて、その瞬間はいつも一期一会なんですよね。二度と同じ時は巡ってこない。
だからこそ、毎瞬毎瞬を思い切り楽しめるように、自分自身の意識がけが必要になるのかもしれません。
というか、そんなことも気にしなくて大丈夫なくらいいつも「いま・ここ」の歓びを感じられるように創られているはず。
人生、楽しんだもん勝ち、ってとこかもしれませんね。
自分自身とつながって、自分のニーズを感じながら、それをちゃんと満たしていけるように、そんなことが本当にできそうな予感がしてきています。
人間、いくつになっても変われる、ってみんな言うけど、本当みたい。
大げさに言うと「変容」ってヤツでしょうか。
※ 追記
「腐れ縁」のコードが二つも切れました。
なんと気分のいいことでしょう。
以前は人とのお別れって、どんな形であっても、どこかに「ネガティブ」な感覚があったのですが、今年はまったくそれを感じません。次なる出逢い、ご縁がそこまでやってきてくれている、ということですから。
ほんの少しの意識の切り替えで、こんなにも気持ちが楽になるなんて。
とは言っても、きっとどこかで「淋しいよ~」って泣いている内なる私がいるんでしょうけど。