肝っ玉かぁさんってこんな感じ ?

肝がすわる、ってこんな感じなのでしょうか。

 

私の主人は大酒飲みです。それで人格がコロッと変わったりはしないけれど、ほぼ毎日お酒を飲む。もちろん仕事でのことも多いんですが。

 

一昨年のこと。忘年会で飲んできて、他のお家の玄関の前でドアフォンをおしまくり、挙句の果てに電話をしてきて、「どうしているのに開けてくれないの ?  開けてください」と大声を出す始末。

 

その時はどうやらお相手の家が留守だったらしく、私が迎えに行って、大きな身体を抱きかかえるように帰ってきて、事なきを得ました。

 

以来、お酒を飲んでくる時は家に帰ってくるまで心配で仕方ありません。

 

きのうもまた午前様です。いい加減にしてよ、という想いとは裏腹になぜか、「デン」としている私。

 

いつもなら、「まだかな、またどこかで引っ掛かってるんじゃないかな。電話しようかな」と不安で不安で仕方なくなるのですが、あの件のトラウマです、ところがきのうは、不安な気持ちがわいてこない。

 

お酒を飲んで遅くなることに腹は立つけれど、今、私がここでジタバタしたところで状況は変わらない。関係ないや、そう思って様子をみていました。と言っても主人のことなど考えず。その後、多分、帰宅は一時過ぎ。そんな時は寝たふりをして無視をします。

 

今朝、一言、「大バカだね」で終了。少しだけ怒りはありますが、無事に帰ってきたんだから、まっ、いいか、と。

 

不安がわいてこない事実が嬉しくて。

 

私はデンとしているところもあるのですが、一旦スイッチが入ると、もうダメ。ある意味、神経症的に「平気かな、どうしようかな」と自己中毒のような状態になることもしばしば。不安がさらなる不安の渦を巻き起こして、それがずうっと続くような感じです。

 

これ、いやだったんですよね、自分で。

 

一般的にパラノイア、強迫観念、不安神経症、などの言葉であらわされる症状です。おそらくこの傾向は亡くなった父の影響を受けているのだと。今はほとんど感じなくなっているのですが、あの一件以来、主人の帰宅時に関してだけ、こころの傷がうずくんです。

 

そのうずきが、きのうはゼロ。

 

やっと元の私に戻った。そんな気分です。

 

もしかして、肝がすわった ?  腹がすわった ?  どっちでもいいや。

 

前々エッセイで、『みんな、まぁるい !』というお話をしましたが、どうやら本格的に私の女性性が稼働し始めてくれているみたい、母性の力、です。

 

女性性の一番の得意技は「受容力」。その状況のあるがままを受け容れる、ありのままを受け容れる。「良い」「悪い」と判断しないで。

 

そっか、今ふと浮かんできたのは、私の強迫観念が強くなったのって、東日本大震災で被災してからだ、と。

 

あの時のトラウマは相当なもので、震災後三年くらいは、とにかくナーバス・モードでした。

 

最近、「震災」という言葉を聴いてもあまりハートがドキドキしなくなっていたんですが、女性性の開花によって、「ドント来い !」モードが膨れ上がってくれたのかもしれません。

 

こころの傷ってそんなに簡単には癒やせないんです。自分ではあまり感じていないこともあって。

 

ただ、何かのキッカケで、ちゃんと「癒し」が訪れる。その時がくれば。

 

パラノイアとか強迫観念、不安神経症とかの言葉って、恐ろしいもののように感じるけれど、誰だってその素因はもっているはずなんですね。必要以上に悪者扱いしないで、今の自分はこういう傾向が強いかも、ぐらいの感覚で上手に人生のツールの一つとしてそれらを受け容れるといいんじゃないでしょうか。

 

私は、スイッチが入ると「不安」や「心配」が増幅するタイプ。

 

でも、もしかしたらそれが緩和して、「安心」「信頼」へとシフト・チェンジしてくれたのかもしれません。

 

そのキッカケが「女性性の抑圧の解放劇」でした。

 

なんか、いい流れを感じます。

 

肝って、おそらく「ハラ」のことではないでしょうか。おへそのちょっとしたのさらに内層部の「丹田」と言われるあたり。ここは生命本来の源泉とされて、呼吸法などで、そこを活性化することができると言われているものです。

 

ここに力が入っていると、武道、武術などではかなり優位に働くとされています。

 

欧米の人は「ハート重視」なんですが、日本人の場合は「ハラ重視」なんです。下半身にグッと力を入れる。

 

丹田の場所は正確にはここ、とはわからないものの、そのあたり全体に婦人臓器があるのも、何かの関連があるのかもしれませんね。

 

きのう、生殖器、婦人臓器にずっと「ありがとう」って言い続けたからかな。

 

身体への語りかけ。実は、かなり効果的なんですよ。一説によると細胞には一つ一つ意識があるんだとか。私たちの意識と同調・共鳴する力があるのではないでしょうか。

 

私たちが自分の女性性を抑圧していれば、抑圧の方向に。解放していけば、解放の方向に。細胞は私たちそのものだということなのかもしれませんよね。

 

あぁ、緩んでるのかも。なんとなく気持ちがいい。いえ、「ハラ」に力が入っているのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

※ 追記

 

きのう、ベッドに入ったら、愛猫・海・うみが私のお腹の上にのっかってきました。

 

ずぅっとそこで丸くなってる。何もしない。けれど、あれ、ヒーリングなんです。

 

海・うみの母性の強さは、かなりのもの。出産経験はないのに。

 

動物君はさりげなく、そういう大切なことを教えてくれています。出産経験の有無ではないんです、母性=女性性の強さは。

 

 

 

 

 

 

 

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