私は自己批判を続けていた。
またまた、不可解な私の登場です。
今朝、左耳が痛くて、ツーンと鋭い痛み。
さっそく調べてみました。
自己批判。自分の話は重要ではない。聴いてもらう価値もない、と感じている、とのこと。そのため、自分を批判する人と一緒にいたがる。
またもドМな私の登場。
冷静になって考えてみると、これって「女性性の抑圧」と関係がありそうですよね。
私は女だ。女の私が話す内容は重要ではない。聴いてもらう価値もない。「そうだ、そうだ、お前の話なんて価値がない」、とこれは内なる男性性の声でしょうか。
潜在意識に触れると、こんなにも私たちは傷つけあって生きていたのかと驚きます。
一方、今までは対立の関係でお互いにお互いを傷つけてきたけれど、これからは協調の関係だね、手に手を取りながら前に進めるね、という意識の芽生えも感じます。競争ではなく、協力の関係だね、と。
対立、競争の関係を認識するからこそ、協調、協力の関係が視えてくるのですよね、きっと。女性性と男性性のバランス、調和が良い塩梅にととのうと、私たちの内なる力はさらに強くなるんだとか。今までは、対立、競争だったので、そもそものバランスが良くなかったというわけです。
その、対立、競争の大元が批判精神、一般に言われる「ジャッジメント」。その矛先を自分に向けていた。同時にそういう相手も引き寄せていた。
ふむふむ。私は自分の女性性と男性性との関係で「自己批判」をとらえましたが、こういう人間関係って、実は少なくないのではないでしょうか。
自分で自分を否定するから、周りにも自分を否定する人を引き寄せてしまう。
逆に言うと、自分をちゃんと愛して、自分を受け容れて、自分を慈しめば、周りに集まる人も自分を愛してくれて、自分を受け容れてくれて、自分を慈しんでくれる。
すべて、が「自分」の鏡だということなのかもしれません。
まさか、自己批判が出てくるとは思いませんでしたが、自己肯定、自己受容、自尊につながる大事な通り道だと思えば、自己批判の意識も大切なものだとわかります。その先にあるのは、他者肯定、他者受容、他者尊重であることも。
私は耳にトラブルが出ることはほとんどないので、これは潜在意識からのメッセージね、とすぐにわかりました。耳には100以上のツボがあるので、耳を刺激すると、生命力そのものの活性化につながるそうです。
さっそく試してみましたが、かなりスッキリしました。
ほんのちょっとしたことでも身体からのサインは見逃さない。身体と向き合う。身体と対話する。身体と共鳴する、私自身が。
そんなことを「耳」が教えてくれました。
ツーン、というちょっとしたサイン。そのメッセージは大きな愛のメッセージです。
※ 追記
一般的に自己批判の強い人は、完ぺき主義だから、とも言われます。
完ぺきでいなければいけない、という想いの裏面が自己批判、ジャッジにつながるんだと。
ということは、自己批判を弱める方法論として、ありのままの自分で「良し」とする、そんな気持ちの余裕が求められます。
なんでもほどほど。適当。
完ぺきである必要はありません。人は完全な存在にはなり得ません。
ありのまま、がちょうど良い私たちの姿なんです、きっと。
力が抜けたね。
それが「耳君」からのもう一つのメッセージかもしれません。