産みの苦しみ

いよいよ、感情のデトックスの嵐が過ぎ去ったようすです。

 

「恨み」「憎しみ」「復讐」、そして「殺意」。これらの意識エネルギーが私の中を通り過ぎて行ってくれました。

 

ここ数日、「リバーシング」・再誕生のうねりが起きていて、ヘビーな意識が次々に浮かびあがってきます。

 

「リバーシング」というのは、生まれる時に感じたトラウマ、生まれる前に母親の胎内で感じたことによるトラウマ、共にバース・トラウマと言います、それを解放し、まっさらな状態で生まれ変わる、ということを目的としたセラピー形態の一つ。

 

昨年からセルフでバース・トラウマの解消にチャレンジしていました。

 

今週に入り、大きな波がきたため、真剣に誕生時の意識を感じようとトライしていたら、なんと女性性の抑圧解放という大きな意識エネルギーの変動が起きてくれて、なんとも気分は爽快。

 

ところがまだまだ残っていたのですね。今朝、さらに上記の「恨み」「憎しみ」「復讐」「殺意」という意識エネルギーの解放が行われたのです。

 

きのう、突然右の脇腹近辺に鋭い痛みが走り、痛みの質からいうと「神経痛」と呼ばれるもの ?  と感じました。ただ、あまりにも突然なので、もしかしたら異なるメッセージかも、と感じ、調べてみたところ。

 

どうやら、「霊」が関与しているらしいとのこと。同時に別の考え方として、凝り固まった身体から意識エネルギーが動こうとしてくれているというプラスの情報も見つかりました。

 

そうなのです、身体の故障、ではないような気がしたので、この二つの説は濃厚だな、と感じました。

 

セルフでヒーリングをしながら、時々ツーンとくる痛みも「絶対一過性だから」とナーバスになりすぎないようにしてやり過ごしていました。

 

「霊」の関与でピンときたのは、心臓から右わきに、矢というか、刀というか、刃物が貫通している感覚を感じたのです。ななめ串刺しみたいな感じ。

 

過去生の記憶なのか、誰かの記憶を引き受けてしまったのか、拷問のような、強い、重い意識を感じました。夜にはすっかり良くなっていたので、やはり一過性だったとホッと一息。

 

今朝、眼が覚める瞬間、以前付き合っていた男性の恨みの感情を感じました。

 

なぜ ?

 

その男性は別れたがっていなかったのですが、私から別れたのです。

 

その時の恨み、憎しみ、怒り、そして復讐心。

 

ああ、人はこうやって、自分では意識していないところで人の恨みをかっているものなんだ、とビックリ。

 

それを感じていたら、「殺意」という意識も浮かんできました。

 

なるほど。

 

私たちは普段、自分が誰かを恨んだり、憎んだり、復讐してやろうとか、その先の殺意なんて、まったく感じたことがないような気がしているけれど、実は案外日常的なところで、この意識を感じているものなのかもしれませんね。

 

例えば「殺意」。

 

虫を殺す、菌を殺す。それだって「殺意」があるからではないでしょうか。

 

「復讐」とか「殺意」とか聞くと極悪人のような気がして、自分には関係ないこと、と思っているけれど、それらを抑圧しているだけで、そういう意識は割と頻繁に感じているものなのかもしれません。

 

とすると、今朝浮かんできたものは一瞬元カレの意識だと思いましたが、実は自分の中に隠し持っている意識でもあるのかもしれないと、トコトンそれらの意識を感じつくすことにしました。

 

そのうちに足首と手首に強いしびれ。拷問台に縛られていたのか、どこかに閉じ込められて、足と手に重い鎖をつけられていたのか、そんな感じです。

 

「自由」「解放」の意識と共に、さぁっと全身が軽くなるのを感じました。

 

ふぅ。

 

ものすごい、感情のデトックスです。

 

今年は個人的に春の訪れが早いと感じています。私の心身はすでに春、真っ盛り。春は解毒のシーズンです。植物たちの芽吹きと同じように、私たちのこころの傷や身体の傷がうずいて、何かを昇華しようとする働きが起こります。

 

春先に感情が不安定になったり、こころが不安定になったりするのは、心身が緩んでいるからです。花粉症などもその一つ。

 

それらはほんど「一過性」のものばかり。花粉症が定着してしまっているのは、花粉症だと自分で脳から身体にサインを送っているから。

 

私は重篤な花粉症を、意識の働きで克服させてもらっています。

 

クシャミが出ても、眼がかゆくなっても、花粉症と思わない。すると、数日のうちに症状は治まります。この方法ですでに6年くらい経っています。花粉症のケアは一切していません。マスクもお薬もサプリメントもホメオパシーも。たまぁに生姜湯を飲むくらいです。

 

季節の変わり目で身体が緩み、一瞬症状らしきものが出るのはあたりまえ。けれど定着させないという方法があるんです。それは淡々とやり過ごす。それだけ。「これは〇〇だ」と意識設定をしないことです。

 

この方法を提唱している専門家はそれなりにいるようなのですが、認知度は低いようですね。

 

話が脱線しました、元に戻しましょう。

 

春は、全身の関節などが緩んで、さまざまな意識があふれ出す、恰好のデトックス・シーズンです。

 

例年はあまり気にしていませんでしたが、今年は向こうから「これでもか」状態でデトックスのチャンスが届いています。

 

エネルギーとしては、かなりヘビーなものばかり。感じてしまえばそれでおしまい、です。一方、抑圧すれば、せっかく顔を出しかけてくれたのに、また体内に逆戻り。

 

感じる、感じつくす。

 

私の場合はこちらで自分自身の統合につなげています。

 

バース・トラウマの解放。

 

そしてリバーシング・再誕生、のこのプロセス。

 

再誕生の前にこれだけは昇華しておきなさい、と普段だったらでてこないような意識エネルギーが次々に顔を出してくれたみたい。

 

まさに、産みの苦しみです。

 

もうないだろうな、いい加減。

 

出てきたら、また向き合うだけ、ですけど。

 

きょうの最大の気づき。

 

たとえ、誰かの感情だ、と思うものでも、きっとそれは自分自身の感情でもあるのだろう、と確信しました。

 

これは人の感情。

 

これは自分の過去生の感情。

 

これは自分のバース・トラウマ。

 

これは自分のインナー・チャイルドが感じているトラウマ。

 

そんな風な線引きは難しい。

 

すべて自分の感情だと思って感じつくしてしまった方が断然効率的です。

 

私の場合、きょうの、一見「負」の感情の引き金は、元カレっぽかったけれど、すべて私自身と意識することでストンと何かが腑に落ちました。

 

どんなに「最低、最悪」と思える意識でも、感じてしまえば、それは自分の宝物に変わります。

 

二年半そのことを続けてきて、これはまちがいない、との確信を得ました。

 

もちろん、誰にでも合う考え方ではないかもしれません。

 

ピンとくる方には、おすすめしたい方法ですけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※ 追記

 

誰かから恨みをかっていませんか。

 

冷静に考えてみたら、結構あるかも、と感じました。

 

もちろん私自身に悪意はなくても、相手がどう感じるかは別問題です。

 

ということは逆に私自身も大したことではないのに恨みがましく感じたことがあるのかもしれません。

 

本来なら、そういう感情を「ゼロ」にできるくらいハートを磨きたいところですが、現実的にそれは無理そう。

 

だとしたら、感情を抑圧しないということ。

 

流すのです、停滞ではなく。

 

感じるのです、受容。拒絶ではなく。

 

その感情自体を「良くないもの」と思いすぎない。

 

人間ですから、さまざまな感情を抱いてしまうのはいたしかたありません。

 

ただ、抱いた感情には自分が責任を持つ、ということです。

 

理論としてはシンプル、だけどエゴが邪魔してなかなか思うようには行きません。

 

それでも意識していれば、そのうち、自然に流れる方法がみつかるはず。

 

私の場合は、今は、とにかく「感じる」。

 

精一杯「良い人」を気取っても、遅かれ早かれ爆発するのなら、早いうちに流して、小噴火でおさまってほしいから。

 

 

 

 

 

 

サイト内検索

お問い合わせ

メモ: * は入力必須項目です

ページTOPへ戻る