「新しい環境に身をおきなさい」
羊からのメッセージだそうです。
羊、というと「犠牲」「いけにえ」のイメージもありますが、ギリシャ神話では「戦利品」「宝探し」の象徴とされ、「新境地の開拓」の意味が強いんだとか。
また、肉球がしっかりしていて、高所からジャンプしても関節への負担は軽く、その意味から、新境地の入り口は狭き門だったとしても、思い切って飛び込んだら意外にも足場はしつかりしているよ、とのメッセージもあるようです。
なぜ、羊君が出てきたかというと。
愛猫・海・うみが最近、羊の生肉を一気食いするんです。海・うみは三歳まで他のお宅にいたコ。そのお家ではカリカリしか食べなかったとのこと。わが家にきて、少しずつごはんを変え、今はお魚はほとんどなんでもOK、鶏肉、牛肉、豚肉OKにまで食の好みを拡げてくれました。
ラム肉は、ここ一か月くらい。
前々から気になっていたんですが、ちょうどお安くなっている商品があったので買ってきたんですね。
初日から一気食いというわけにはいかず、初日はお口に肉を入れてゴックンと飲んでもらう、形を変えた強制給餌、私は「愛のお給仕」と言っていますが、それでその後自分から食べる、という快挙におよんでくれたんです。
猫さんは生後半年ぐらいまでに食べたものしか「ごはん」と認識してくれないため、大人になってからの食の移行はそれなりに大変だと言われています。
ラムはどうだろう、はじめてだし。
そんな心配はいりませんでした。以降、海・うみの一番のお気に入りになってしまい、ラム肉をお皿に置くと、どんな食べ物があっても、ラム肉だけ一気食いをするという状態。食べてくれるので、「まっ、いっか」となってるんですが、もしかして何か意味があるのかも、と調べてみたら、上記のようなメッセージがあったというわけです。
ここまでなら単なる偶然。
ところがです、ランチにパスタ屋さんに行ったら、なんと ! 前菜に手作りラム・ソーセージが出てきました。
お初。
ということは、やっぱり羊君は私にメッセージがあるんだ、と大興奮。
ちなみに、「犠牲」とか「いけにえ」とか、もしかしたら、「再生」の一歩、という意味ではないでしょうか。「新境地の開拓」と結びつける、となるほどな、と。
「犠牲」や「いけにえ」はどちらかというとネガティブなイメージがありますが、「再生」のための一歩、と思うと、そこに命の循環のサイクルが感じられて、それはそれで生命力に満ちたものだな、と。
宗教的教義や儀式の意味は、私にはわかりません。また、命を捧げることが善悪で語られるとしたら、どちらなのか、ということにも頭を痛めます。「いけにえ」は本当に必要なのかしら、とも。
ただ、もしも、「再生」のための一歩、だとしたら、まさに「リバーシング」・再誕生という意味にもつながり、今までのイメージとはまったく異なる世界が拡がるような気がします。
そういえば、愛猫・海・かいが天国に還った時、私は神様に「私の命と同じくらい大事なものを捧げたのですから、それなりのものを返していただかなければ納得できません」と、今思うと、ものすごく失礼なことをいったことを、ふと思い出しました。
あれって、「再生」の一歩だったんだ、「再誕生」のメッセージだったんだ、と思うと、海・かいの愛の大きさが今さらながらわかります。
あの時、海・かいは光をまき散らして天に昇って行ったと言います。
海・かいちん、さすがね、あの時点ですでに海・かいとしての使命は終了して、再誕生の光を身にまとっていたのね。
それが「犠牲」の意味なら、命の強さ、濃さ、煌めきとつながりますよね。とても能動的な意思を感じます。
宗教的な「犠牲」「いけにえ」については、私は門外漢。
けれどこんな解釈もあるのかな、と自分流意識の拡大のチャンスを羊君が届けてくれたことに感謝。
家にきてしばらくは、夜中コッソリとカリカリだけを食べていた海・うみがこんなにも自然と同調・共鳴してくれて、スーパー元気姫になってくれたそのことにも「ありがとう」。
動物君は自然の一部。
私たち人間も動物です。
自然のネット・ワークはこんな風に手をかえ、品をかえ、私たちとつながろうとしてくれているのではないでしょうか。
それに気づくか、見落とすか。
そうそう。本題、「新しい環境に身をおきなさい」、が羊君からのメッセージでした。
これって、前々エッセイでもお知らせした、リバーシング・再誕生の成功の意味ではないかと、またも大興奮なんですけど。
春、ですね。春。そういえば、占星術だと「おひつじ座」は、最初の星座、春の星座、始まりの星座です。
※ 追記
参考 『アニマル・スピーク 自然の力を借りる』テッド・アンドリューズ
ほとんど参考文献を手にしない私が、この本だけは頻繁に参考させてもらっていることに意味があるのだと感じています。