自己同情。
はじめて聴いた言葉なので、さっそく調べてみましたが、ネット上の解釈は私にはピンと来ませんでした。あくまで個人的解釈でお話をしますね。
自己同情とは、自分自身に対して同情すること。
言葉の意味、そのまんま、です。
女性性の抑圧の例でお話しすると。
例えばある女性が自分のことを「女性になんて生まれるんじゃなかった。女性って本当に損だわ。意見を言おうもんなら生意気だと言われるし、哀しいからと泣くと、女は泣けば許されると思ってる、とか言われたり。女性であるだけで価値が低いように思われて。私自身もそう思って。まったく何とかならないものかしら、この女性観」、こんな風に思っていたとします。
第一弾の女性性の抑圧段階。
そういう女性が自分の境遇に同情を寄せるようになるのが自己同情。
ああ、かわいそうな私。なんでこんなに不幸なのかしら。なんでこんなに認めてもらえないのかしら。女って損よね。
本当は人から同情してほしいのですが、なかなか同情を得られないので、自分で不幸な境遇を創りだし、そのこと自体に同情を寄せて、「かわいそうな人」を自分自身でどんどん大きくしてしまうこころの状態を言います。「かわいそう」と感じることは、ある意味自己満足につながります。普通はそれを他者に向けるのですが、思い切り自分に向けるので、どんどん自分の状況が悪くなる。かわいそうな自分を次から次に創り出す。かわいそうな自分に酔う。そんな負のスパイラル。
言葉をかえると、被害者意識の強い人、あるいはドМそのものです。かわいそうな女性としての私にはまりまくっていくのです。
これが女性性の抑圧、第二段階。
もしかしたら私も ? なぁんて思ったりしました。
この傾向は、以前お話した心理学・アドラー理論の「不幸自慢」にもつながりませんか。自分の不幸を自慢することによって、相手に自分を権威づける、という考え方。被害者意識を武器にするんですね、「私はこんなにもかわいそうなのに、こんなにもがんばっているのに、誰もそのことを理解してくれない」と。
女性は往々にして、他者に対して「同情」を抱きやすい生き物です。
「気の毒ね」「かわいそうだわ」
それが真の優しさにつながることは少なく、どこかで「あの人より私はましだわ」「あの人より私の方が恵まれている」という、いわゆるエゴにつながることの方が少なくありません。
よく言われるのは「同情ではなく共感」ということ。私も以前は気の毒な人を見かけると放っておけないタイプでした。ということは、私は同情、という感情を相手に投げかけていたことになります。数年前、そのことに気づき、できるだけ同情という感情を抱かないようにとしているうちに、自然に同情心が薄れていったような気がします。
同情心を抑圧したのではなく、同情そのものがもたらすものの意味を私なりに理解したからなのかもしれません。
が「自己同情」という言葉を目にした時、ピンと来ました。
私って自己同情していたのかもしれないわ、と。
同情心を抑圧したつもりはないのに、きっと抑圧していたのでしょうね。それがどこかに顔を出したくなって、自分自身への同情と変わったのかもしれないと自己分析です。
さて、この自己同情が膨らむ限り、私たちは女性性を抑圧し続けることになります。
そもそもの意識が「女はついていない。女は損だ。女は男と平等には生きられない」という深層心理、潜在意識、そのものだからです。
前エッセイでもお話しましたが、女性性を抑圧していない人はいません。どんな人でもどんな形ででも女性性を抑圧しています。もちろん男性も。
その大前提がある限り、同情、自己同情は、さらにそのエネルギーを膨らませてしまいます。
まず、自分は女性性を抑圧している、という事実を受け容れる。
次に、可能であればその意識を感じ取る、感じつくす。
そして自尊心を高め、自己受容を進めていくうちに、自然に「同情しなければいけない」という感情そのものが軽減してきます。
同情は誰かとの比較意識によるもの、たとえそれが自分に向けられたものだとしても。
誰かと共に、というように意識がシフトすると、それは自然に共感モードへと移行していきます。
こうすれば100%こうなる。そんな因果律はありませんが、ある程度、その傾向は創ることができる、というのがこの宇宙の仕組みだといえるでしょう。宇宙、が出てくるとシックリこない場合は、ご自身になじむ解釈をしてみるといいかもしれません。
私は被害者意識が強いな、とか、自己憐憫が強いな、と感じる方は、たいてい自己同情も強いと考えられますから、まずその事実を受け容れる、それだけで変容への第一歩が踏み出せることになります。
う~ん、自己同情か。耳が痛いけど、素晴らしい言葉に出逢えました。
真の優しさは、やはり強さ、なのですね。
※ 追記
一昨日から続いた「女性性の抑圧エネルギー解放劇」、かなり出て行ってくれました、かなりスッキリしました。
これだけの意識が自分の中に潜んでいたという事実に驚きながら、これらも自分の一部なんだと、それらの意識を一つ一つ愛おしむ気持ちもちゃんと出てきてくれました。
受け容れる。それがハートの力につながります。それを「愛」と呼ぶ人は少なくありません。
はじめから「愛」を求めるのではなく、「愛」は結果として、あちらからやってきてくれるもの。
そんな仕組みがわかって来ました。
自分の中の一見「負」、大事な資産。「愛」につながる大切な種、です。私たちの中にムダなものなど何一つありません。すべてが「宝物」。
女性性だって、例外ではありません。もちろん、男性性も。