意外な私の登場です。
私はどうやら男性コンプレックスのようです。
潜在意識は、本当にいろいろなものを視せてくれますね、まさか、の展開です。
私は男性コンプレックス、男性性コンプレックスのようです。
男性がこわい、とか男性にはかなわないとか、自分で自分の価値を男性より下位に置いている。
そのため「男性になんか負けるもんか」という反逆精神が膨らんで、何かと男性につっかかる。男性、男性性を尊重しない。
だから、私は自分自身の女性性をさらに抑圧してしまって、子宮系の重篤な病気を発症させてしまった。
子宮腺筋症という、医師からは「ガンでは」と言われるほどの重篤な病気、症状でした。
食の改善と漢方薬治療によって、「奇跡」の改善結果をいただき、その後、それらしき症状は一切出ず、形の上では「完治」ということになりました。
が、女性性の抑圧、という意識エネルギーは残っているんだろうと、去年あたりに気づきました。
症状がなくなったからと言って完治ではない。その根本の意識エネルギーを統合しない限りは。
そんな考え方に到達しました。ヨーロッパでも日本でも一部の医療従事者あるいはそれに関連する人たちがそういう事実を説いています。ところが、大きなところでそういう考え方は受け容れられていない。
それが現代医療の現実です。何より現場に携わっているほとんどの人がそこから一番遠いところに意識を置いている。
私は生活者として、一つの命として、たいていの医療関係者と異なる視点をもっています。良い、悪いではなく、それが今まで生きてきて、たくさんの「生と死」に遭遇して、たくさんの「病気」や「ケガ」の体験をしてきたからこそたどり着いた、まったくの個人的見解だから。
さて、ここで医療について、という形で脱線しまくり。お話を元に戻しますね。
私は男性コンプレックス、男性性コンプレックスであるがために、自分の女性性をも否定していた、拒絶していたらしいのです。
なるほど。
男性が怖くて、でも絶対に負けたくなくて、結果、外の男性に対しても、自分の男性性に対してもかなりの「パワー」を注いでしまっていた。その分、自分の女性性がトコトンパワーを失っていた。
そのため、重篤な婦人病を招いてしまった。
やっと浮かびあがってきたくれたこの一つの真実に、歓びを隠しきれません。
あ~、そうだったんだ、そんなことだったんだ。本当にそんな程度のことだったんだ。
なぜ、この程度のことに気づけなかったのか、でも今だから気づくことができたのか、どちらにしても嬉しいとしか言いようがありません。
このことを決定づけるかのように、ある本にこんなフレーズがあるのを発見しました。
『三位一体とは、絶対的な男性的特質を有する元型に基礎を教義的なイメージです』
簡単に言うと、三位一体のイメージは、絶対的男性性をベースにしたものである、ということ。これは、一般的には「キリスト教」の教義的イメージなんですが、実はホリスティック・ケアをとらえる時も「心身魂」三位一体というとらえ方をすることがあるんです。
私は、自分自身と家族の健康維持にホリスティック・ケアの考え方を取り入れていたのですが、これこそまさしく「絶対的な男性的特質」をベースにしたものだったんですね。
三位一体とは、そういう意味だったのか、とあらためて言葉の持つエネルギーに驚いてしまいました。
やっと気づけました。私たちが生きていくうえで「心身魂」の三つのバランシングは大切です、そこが要です。けれどその中に、あるいはその上に絶対的男性的特質は必要ありません。男性的特質、と共に、女性的特質も大切で、そのいずれもの力は「等価」。どちらが「絶対的」でも、どちらが「優位」でも、どちらが「善」でもありません。お互いに力の矛先、得意ジャンルは異なるけれど、お互いがお互いを尊重して、協調の関係で支え合い、一つの大きな力を持つ、のが私たちの命の基本ではないでしょうか。それが「心身魂」の中に含まれていることこそが、私たちの命の大きな特徴のような気がします。仮に「心身魂」の上に存在するものだとしても、それは「男性性・女性性両方備わった存在、あるいはエネルギー」である、というのが今の私の感覚です。
多分この世界に「男性コンプレックス」のない女性は存在しません。
自分が「男性コンプレックス」「男性性コンプレックス」だ、という事実を受け容れるだけで、こころのベクトルは変わります。
何だか、自分の人生、うまくいかない。
人間関係につまづいてばかり。
そんな場合は、あなたの中の「男性コンプレックス」の暴走が原因かもしれませんね。
「男性コンプレックス」という概念は知っていました。でも自分には関係ないと感じていたのですね。私の顕在意識も。
潜在意識の方が顕在意識より、パワーは数段強いと言います。いくら頭で「男性と共存共栄していく」なんて言っても、潜在意識ではそれを覆すくらいの出来事が存在している、ということなんでしょうか。
※ 追記
上記エッセイに出てくるある本とは、『ユング 分析心理学』みすず書房刊、のことです。
この本は、最初むずかしくて三ページくらいみて挫折してしまいました。
ところが数日たって、まるで「ここを読んでごらん」と誰かがページをめくってくれているかのように私にとって「重要」と思えるところばかりを読まされている感じです。
ユング理論に対して、否定的な人がいるのは事実。そのことを理解したうえで、この本は私にとって、素晴らしき宝典のような存在です。
私はユング信奉者ではありません。それでも宝石箱のような言葉がちりばめられているこの本にはただ感謝。
書物というのは、何かへの、あるいはどこかへのパスポートの意味合いがあるのかもしれませんね。
こころの天国に続く「道」へのパスポート ?
※ 追々記
「女性性を征服する」
ものすごい言葉が浮かんできました。
同時にこの意識エネルギーの解放の時です。
女性性は制服されるべきものではありません。
男性性は女性性を制服すべきものではありません。
共に手を取り合うべき、和合すべきものなのではないでしょうか。大いなる一つとなるために。
私の中のアンバランス意識、これ、集合意識でもありますよね、きっと。
そう言えば、マンションの河津桜、きょうはお花が6個くらい開いていました。
桜のピンク色は、女性性の色。
あなたの女性性にも関係あるかもしれません。
開花、解放、成熟の時。