夢からさめました ~ ヨーガ編

ヨーガ歴14年。

 

ここ数年、煮詰まりまくっていたヨーガ。一般的にはヨガ、ですね。

 

ヨーガをはじめて、身体的な変化があらわれました。

 

花粉症の克服です。私は成人してからずぅっと重篤な花粉症で苦しんできたのですが、ヨーガのお蔭で、ウソのように治ってしまったのです。ヨーガをはじめて8年目くらいのことでしょうか。

 

同時に自己流瞑想をかなり長時間行ってきたので、もしかしたらそのお蔭もあるのかもしれません。

 

私のヨーガ、とは、週一のヨガ・レッスンと毎日の瞑想を合わせた形です。瞑想はヨーガ・スタート当初から遅れること4年。ですので瞑想歴でいうと10年くらい。あぐら座が苦手なので椅子に座って行います。どなたかに教わったわけではなく、ネットで調べながらのスタイルです。

 

そんな自己流ヨーガ・スタイルでもそこそこ満足していました。ヨーガをライフ・スタイルにとりいれて良かったな、と。ところが途中からレッスンの先生と考えが合わずに何かがおかしいと感じ始めます。3年くらい前のことです。

 

私は呼吸法第一、そして何よりその場で気持ちい~いと感じれば、それでOK ! というタイプ。先生は、せっかくヨガをやるんだったら、身体の柔軟性が上がらなければいけないというタイプ。60人くらいからのレッスンですが、毎回私はポーズの直しの指示を受けました。

 

先生には伝えました、私はその場の快適さが一番なので気にしないでください、と。

 

結局、レッスンを卒業するまで先生の指導方針は変わりませんでした。

 

十数年お世話になりましたが、もういいかな、と感じて、その後さまざまな先生のレッスンを転々とします。

 

昨年の秋のこと。それでも身体は柔らかくなりません。

 

「ヨーガは私に合わないのかも」

 

そう思い、すべてのレッスンを卒業しました。瞑想だけは、毎日ではないものの自己流を時間短縮で続けました。

 

年末になって、寒いせいもあってホット・ヨガを試してみたいと思い、新たな先生のレッスン受講をスタート。ポーズは少しきつめですが、他のホット・ヨガよりは温度設定が低く、何より最初から最後まで呼吸の指導をしてくれるスタイルに「これなら続けられるかも」と。ヨーガというより、呼吸法の指導を徹底したストレッチ・レッスンと割り切って。それだけで十分だという気がしたのです。

  

そんな中、ちょっと調べてみてわかったのは、「ヨーガとは呼吸ありき。呼吸にポーズをつけて、身体とこころを一つにするもの」というのが近代ハタ・ヨーガの基本の基本だということ。

 

また、近代ハタ・ヨーガにおいては、すべてが各自のペース、ポーズ、ととらえるので理想形、完成形という考え方はしない、ということ。もちろん、柔軟でなければいけない、という考えはないというのです。

 

私が呼吸第一、と感じていたことは近代ハタ・ヨーガの本筋と同じだった。また、形を求めるものではなく、自分自身を感じて、同時に見つめるために行う、という考え方も。

 

実は、2年くらい前に、「ハート・オブ・ヨガ」という理念にたどり着き、「うん、これこれ、私が求めているのは」と感じていました。ハート・オブ・ヨガは特定の流派に属さずに、一人一人のヨーガがあるとして、さまざまなアプローチをしていくという考え方をするんだとか。極端な言い方をすると、その人が楽しいと感じればよい、との理論。先生は、崇拝対象ではなく友人だというのも、私にはピッタリな考え方です。

 

私の場合、レッスンはスポーツ・クラブで受けるため、さまざまな流派の先生がいます。みんなそれぞれ。メリット、デメリットがあります。

 

だったら自分で「ハート・オブ・ヨガ」の理念を貫いたらいいんじゃない ? と感じていたのですが、実際レッスンを受けると、ほとんどの先生が「柔軟性重視」「理想のポーズに近づけて」という考え方。いくら私自身が「人の数だけヨーガがある」と思っても、なかなか快適さを感じられない状態が続きました。

 

一人だけ「ヨーガ」を銘打っている先生がいて、その先生は確かに「人と比べない」「各自の座、ポーズ」ということを指導の柱にしていました。呼吸法も大事、としていたので、私の考え方に一番シックリきていました。ところがこの先生は「ヨーガ」への傾注が強く、一歩間違うと危ういところに。

 

そのため、この先生のレッスンも卒業していたのです。

 

と考えると、今受けているホット・ヨガの先生が今の私のベスト。

 

ヨガの本流の人たちは「ホット・ヨガ」は邪道としている人も多いみたいですが。

 

まず、呼吸法。そして、ポーズの指示はしてくれるけれど、決して無理じいはしない。途中で「辛かったら休んでください」と何度も言ってくれる。呼吸法をメインにした簡単な瞑想からはいって、立ちポーズもあり、クール・ダウンもあり。パワー・ヨガと似た構成ではあるけれど、レッスン中呼吸法の指示をし続けてくれる、という点が、最大のメリットです。デメリットはホットであるため、汗が大量に出て、動きもきつく感じる点。ただしこれは自分で休みを入れれば緩和される問題。そう、この先生のレッスンなら、「私だけ」のヨーガを感じられる可能性は少なくありません。

 

これに自己流瞑想を続けていけば、十分だな、と。

 

ここまでたどり着くのに14年かかりました。この全体の流れこそ、私自身の「ヨーガ」だったのかもしれません。

  

私は、すでに10人くらいの先生のレッスンを受けています。14年もやっているのに、身体はまるでやわらかくなりません。が、免疫力は上がり、重篤な花粉症は治ってしまった。健康維持という点では十分「成果あり」ではないでしょうか。瞑想効果なのか、気持ちもずいぶんと落ち着いてきました。

 

その一方、身体がかたかったお蔭で、太極拳や健身気功、ピラティスなど、他のエクササイズにたどり着くことができました。もしも私の身体が柔らくて、どんなポーズも自由自在にこなせるタイプだったら、これらのエクササイズにはたどり着かなかったかもしれません。これらのレッスンは「身体がかたいから」という自己否定を感じる必要はありません。もちろん、中には苦手なポーズもあるんですが、それこそ、一人一人の太極拳、健身気功、ピラティスがあって良いのでは、と感じているから、気分はいつも快適なんです。

 

ということは「ハート・オブ・ヨガ」の理念をこちらでちゃんとモノにできている、ということですよね。

 

ヨーガとはこうあるもの。その大前提が崩れました。

 

ヨーガのアーサナが不得意だったら、他のエクササイズで代用してしまえばいいんじゃない ? 太極拳のルーツは「ヨーガ」とする説もあるらしいんです。ちなみに私は太極拳は、すぐに「気」の変化を感じるくらい、身体にあっています。

 

ないものねだりをする必要はないですよね。

 

ホット・ヨガが楽しければ続ければいいし、きつくなったらやめればいい。それでも、ハート・オブ・ヨガのメンタリティーは私の中に息づいているはず。

 

みんな同じ方向を目指すのが目的ではなく、一人一人異なる「ヨーガ」があればいいのだから。

 

さらに言えば「ヨーガ」という哲学、概念にこだわる必要もなくなるのではないでしょうか。

 

私たち一人一人がユニークであるように、生き方も考え方もユニークであっていいはず。たまたま私は「ヨーガ」が入り口となったけれど、そういうくくり自体、必要ないのかもしれません。私はただ快適な時間を増やしたかっただけなのです。

 

ということで、まったく個人的に、ですが、ヨーガへの執着、依存、解けてくれました。

  

もう、平気です。今後、私は、「ヨーガ」に引っ張られることも、イニシアチブを握られることもありません。

 

私は私。やりたいことをやりたいように楽しむ。それだけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※ 追記

 

当エッセイは2019/02/11に執筆していました。

 

何かがひっかかって更新を踏みとどまっていました。

 

本日2019/02/17。

 

健康太極拳について調べていたら、すごい !

 

人の身体にはそれぞれ「体癖」というものがあって、その癖を尊重して人生を楽しむべき、という理論に遭遇してしまったのです。

 

「野口整体」と呼ばれる理論だそうです。Amazonでレビューを読んでいるだけで感動してしまうほどのシックリ感。すぐに本を購入してしまいました。

 

なぁんだ、私の考え方で良かったんじゃない。

 

もしも私と同じように、「身体がかたい」ということでヨーガをあきらめた人がいたら、お伝えしたいのは。

 

◎ 身体がかたいことは「悪い」ことでも「劣っている」ことでも「恥ずかしい」ことでもありません。私たちの身体はみんな違ってあたりまえ。その癖をちゃんと受け容れて、自分流を貫けばいいんです。

 

◎ もしもヨーガをあきらめてしまったとしても、太極拳や健身気功、ピラティス、その他、なんでも自分が楽しいと思うものを楽みましょう。

 

そもそも、柔軟性競争じゃないんですから。

 

あ~、よかった。

 

視点を変えるって、大事なことですね。

 

さらに。

 

専門家依存、の傾向、卒業です。

 

自分のことは自分の真ん中が一番よく知っている。

 

自信につながりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※ 追々記 以下は2019/02/11に執筆したものです。

 

当エッセイ、執筆に相当てこずりました。文章的にもかなり読みにくいですよね。

 

ここのところ、流れるように文章が浮かんでくるので、このてこずり感、多分、これは書かなくてはいけないという指令が強く出ているためだと感じています。

 

元々、「ヨーガ」に対してそれほど強い思い入れはなく、それこそストレッチと同じような感覚で始めました。

 

なんとなくひっかかり感が出てきたのは「瞑想」を始めた頃からかもしれません。無意識のうちに「修行」「苦行」にこだわる何かが芽生えていたのでしょう。そこに何らかの集合意識が重なってしまったようです。

 

時間はかかりましたが、やっとヨーガとの関係がクリアになりました。

 

今回の場合、身体がかたい、というコンプレックスが役にたちました。

 

多分、これは「ケガの功名」ではないかと。ヨーガのアーサナにつまづいた。先生との関係につまづいた。それらが役に立って、全体的には「すべてうまくいっている」ということなのかもしれませんから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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