わかってもらえなかった。
人と話をしていて、そう感じることは少なくありませんね。
私はこういう気持ちなの。だから一生懸命伝えたの。でもわかってもらえなかった。淋しい、哀しい。
そこで一気に淋しさが爆発して、相手にひどいことを言ったり。
こんなことは私の中では日常茶飯事です。特に主人との会話。距離感が近ければ近いほど意識の甘えも出やすくなりますから。
まったく理解できてない、コイツ、と思うことは少なくありません。主人も同じことを感じているんでしょうね、きっと。
そっか。
それって、お互いに自分をわかっていないからなのではないでしょうか。
私は自分をわかっていない。
主人も自分をわかっていない。
だから、私の内なる自分が「ねえねえ、わかってよ、いい加減」という想いを膨らまして、その想いを主人との関係の中に映し出しているのかもしれません。
もし私が自分のことをちゃんと理解してわかってあげていたら、そんな欠乏感は薄れていくのではないでしょうか。
つまり、私は自分をまだわかってあげていない。ありのままであることを許せていないんだな、と。
であれば、主人に自分を理解してもらう前に、自分自身のことをわかってあげればいいはず。
そっか。「わかってもらえない」というのは「わかってほしい」意識に対する欠乏感だ。その欠乏感は本当の私が私の顕在意識に働きかけているもの。ということは、本当の私、内なる私をもっともっと尊重して、「大丈夫。あなたのありのままを受け容れるから。あなたのありのままと一緒に在るから」と、自然にそう言えるようになればいいのでは。
すごくシンプルなのになかなかできない。でもトライしてみる価値はありそうです。
こうやって、セルフ・カウンセリングが進むわけですが、それでも一朝一夕に自分が変われるわけではありません。少しずつ少しずつ。でも意識をした、という時点で変化はすでに始まっています。
私たちは「効果」を望みすぎるあまりに、遅々として進まない状況にイライラするこころの癖がついています。ちゃんと意味があるのに「意味がない」と決めつけてせっかくのチャンスを手放してしまうことも。その「効果」は絶対に進んでいます、進歩しています、自分の内側で。
それがある日突然、「やっぱりね」とわかるくらいの感覚で飛び出してくれるようになります。
何も感じないから、何も変化していないのではなく、何も感じなくても変化の兆しはちゃんと芽吹いている、ということ。意識さえすれば。無意識の意識化です。
そうやって自分の内側を慈しむ。
少しずつ慈愛が育まれます、自分自身に対する。
するともうひとりの内なる自分が「わかってくれない」と泣き叫ぶ頻度も減ります。
自分の調和は自分自身で創り出すもの。
私の個人的理解ですが、私はその方法で自分をわかってあげた、という効果を感じられるその日を楽しみにします。
そうやって自分を大切にすれば、きっと主人との関係も変わるでしょう。主人が私に対してわかってくれないとダダをこねることも少なくなるでしょう。たとえダダをこねても、「あ、わかってほしいんだな。自分のこと、まだわかってあげていないんだな。ありのままでいいんだよ。ありのままの自分を許してあげて平気だよ」と主人に意識のエールを送る余裕がでるかもしれません。
さっそく、はじめよう、っと。
自分をわかってあげる作戦、遂行です。
何だかいきなり気持ち良くなっちゃった。
受容の力 = 癒し。
※ 追記
私のことなんか誰もわかってくれない。私は人にわかってもらう価値のない人間なのだから。
私の潜在意識は自分に対してそう意識づけていたことに気づきました。
Lucky !
内なる先生の登場です。
「気づく」= 受容 = 自己統合が進みます。自己肯定が進みます。自己価値が高まり、自信につながります。
一見ネガティブと思える感情や意識、「ドンと来い !」。