私は取るに足らない存在。無価値だ。早くあちらの世界に還りたい。
私の潜在意識から浮かんできました。
究極の自己否定ですね。
まず、「私は取るに足らない存在。無価値だ」。
私たちは必要だから、この世に生を受けているのです。
もしも無価値なら、この世に存在しているはずがありません。
自分をなしにしようとする自己否定、自己虐待、自己抹殺の意識です。
さらに、「早くあちらの世界に還りたい」。
こちらの世界には価値がないとしています。こちらの世界を創造した存在まで否定しています。
つまり、まず自分を否定。
自分を否定していると、他者も肯定できません。他者の中には地球そのものも含まれ、さらに地球を創造した存在まで否定している。言ってしまえば宇宙そのものを否定しているのと同じ。
それなのにあちらに還れば自分の居場所があるとしている。
完全なる自己欺瞞。完全なる現実逃避。完全なる全否定です。
こんな意識が自分の中にあったなんて。
けれど自然に湧き出てきてくれた、ということは、もうこの意識は卒業してもいいよ、解放の時だよ、の意味でもあるということで、実は大きな「祝福」のエネルギーが込められているんです。
この意識から逃げる必要はまるでなし。あっちに行ってと抑圧する必要はまったくありません。
ただただ出てきた感情を感じつくす。すると自然に通り過ぎて行ってくれて、今後この意識が暴走することはなくなります。もしかしたらまた同じような意識がでてくることがあるかもしれません。けれどそれは必要だから出てきてくれたものなので、また感じつくせば、どんどんこの意識のエネルギーは和らいで行ってくれるのです。
この感情、集合意識のような気もします。そう、私個人の意識というより、複数の人たちが抑圧し続けてきた意識。
私のものとか、人のものとかの区別は要りません。
出てきてくれたものはすべて認めて受け容れる。
その手法は、ただただ感じる。それだけ、です。受け容れると解放につながります。拒否すると抑圧につながります。意識にはエネルギーがありますから、拒否すればするほどその意識が力を持つようになります。
シンプルにシンプルに。
むずかしい理屈が必ずしも正しいとは限りません。
むしろ、むずかしい理屈は「知」というエゴのあらわれである場合もあるんだとか。
シンプルなものほど真実に近いこともあるそうですよ。
何が真実か、何が正しいか、それさえ意識する必要はなくて、すべて出てきたものは感じる。ただ、それだけ。