私は弱者だ。
女性は弱い立場だ。
これらの言葉がさぁっと浮かびあがってきました。
どうやら、私の女性性からの声のようです。
少し調べてみると「自分は弱者だ」と言って相手に自分の弱さを訴えている場合、それは弱者という権威を振りかざしている権威者に過ぎないんだ、という意見を目にしました。
目からウロコです。思い当たる節はいくつもあります。
私たち女性は、男性に比べて社会的に評価が低い「弱者」だ、と感じていることは少なくありません。
「男尊女卑」意識はまさにそれです。
とすると、私たちが弱者意識や被害者意識、被支配者意識などを振りがざす場合、それを盾に相手に威圧的に出ようとしている、という考え方が出てきます。
なるほど。ストンと腑に落ちました。
支配されたくない、でも支配されている。そういう私は弱者だ、と権威者になろうとする。
そこにあるのは「権威主義」です。
私は「権威主義」がきらいなんですが、なんと、私自身が権威主義の一部だったということにビックリ、です。
このことをキッカケに、私は自分の「権威主義」「権威者意識」を感じつくしました。
すると、ハートがさぁっとフラットになったのです。
権威もまた一つの価値。権威主義も一つの価値。権威をかさに暴利をむさぼろうとするのも一つの価値、と。
権威者 = 悪、でもなんでもなく、一つの概念に過ぎないということです。
私たちは何かあると、「自分は弱者だ」「自分は弱いんだ」という感情を抱きます。それを相手に強要する。そんなことの繰り返しです。
おそらく私の女性性は、男性性に対して、「私は弱者なのよ、あなたの被害者なの、あなたの支配を受けているの」と弱者宣言をし続けていたのでしょう。
そんなことを言われたら男性性は気持ちよくありませんよね。
素直に「その通り」なんて言ってくれるわけはなく、「何言ってるんだ、こっちこそ被害者さ」と感じていたのではないでしょうか。
そこにあるのは対立の関係です。
これは私の女性性だけではなく、集合意識の可能性があります。
あなたは自分を弱者だ、と強者の立場の人を追い込んだことはありませんか。もしあるとしたら、あなたは自分の女性性を否定している可能性大、「私は絶対に勝つことのできない弱者なんだ」と。勝敗の話ではないにしても、「自分は弱い」と決めつけて、それが相手の責任だ、と糾弾しているとしたら、弱い立場から抜けることはなかなかできません。もちろんそのことに善悪はありません。ただ抜けられない自分を固定してしまいかねない、自分自身の意識によって、ということはないでしょうか。
女性性と男性性は誰にでもあるもの。男性にでも。
そして両者は対等です、等価。優劣はありません、差異はあっても。
この感覚はちょっと油断すると手からすり抜けてしまうもの。ほんの少し意識的に「優劣じゃなくて、違いがあるだけ」と思うようにすると弱者としての権威を必要以上に振りかざす必要はなくなりますね。
おたがいさま。
私たちはどちらかが一方的に犠牲者になるわけではなく、もしかしたらお互いに何かの犠牲を感じているものなのかもしれません。一方的に弱者になるわけではなく、視点を変えればお互いに弱者となり得ることもあるのかもしれません。
自分が権威主義の一部だと認識できて、本当に良かった。少なくとも自分の中の権威主義の暴走をコントロールする抑止力にはつながるような気がします。
権威主義は社会全体の大きな課題です。それ自体は良いものでも悪いものでもないのに、さまざまなところで権威主義が暴走しまくって、今の社会が形づくられているのだとしたら。
まず自分ができることから、かな。
自分も権威主義の一環をになっているという事実を受け容れる、ということ。そこから何かが始まるのかもしれません。
※ 追記
心理学者のアドラーの理論によると「不幸自慢」をして人の優位に立とうとする、という概念があるそうです。
「自分はこんなにも不幸なんだ」と言って不幸によって相手に対する優越感を感じ、結果その人の上に立とうとする意識のことなんだとか。
すべての不幸自慢がいけない、というわけではなく、ただしいつもいつも不幸自慢をしていたら、その不幸な現実からなかなか抜け出せない自分を固定してしまいますね。その状態が一つの権威になってしまうのです、自分自身にとっての。
わが身を振り返り、これは耳の痛い話だけれど、確かにそうだな、と納得できます。
アドラー心理学は、厳しい考え方が多いので日本人にはなかなか受け容れられないところも多いと言います。
個人的には、自分では絶対に気づくことのできないことに目を向けさせてもらえるので、Lucky ! という感覚しかありません。
すべてがアドラー理論にあてはまるということはないかもしれないけれど、うまく活用させてもらえれば自分のハートを開く大切な味方の一つという気はします。
それにしても「不幸自慢」か。してました、私も時々。
気づけて良かった。
自分のハートに謙虚になる。もしそうできない時があってもそれを受け容れて。
権威者になって自分自身のハートを抑圧したくはないから。自分自身のハートを大切に愛おしみたいから。
こうやって何かに気づかせてもらえる、というのはすごくぜいたくなことなのかもしれません。