マザー・アース。
地球の意識体。マザー・ガイヤとも、単にガイヤとも表現されます。
今までマザー・アースは私たちの母なので、全身を委ねてみようというニュアンスのメッセージをお届けしていました。
今朝、変わりました、マザー・アースはまぎれもない、私たちの人生の友達なんだと。
友達は、お互いにお互いを補完し合いながら、一つの何かに向かいます。
今までの友達は、時に足を引っ張るという形で友情を示す場合もありました。
これからの友達は、気持ちよくお互いに共振し合いながら。
他ならないマザー・アース自身がそれを望んでいます。
今まで「保護者」としてのマザー・アースに同化していました。
これからは「伴走者」としてのマザー・アースに同化しませんか。
伴走者は、共に、です。
私たち自身もマザー・アースの生き方をサポートするのです。
お互い足りないところを補い合い、お互い相手の良いところを思い切りのばしていけるように。
対等の関係、フラットの関係。
当然等価です、マザー・アースを崇拝するのではなく尊重する。
マザー・アースも私たちを尊重してくれる。
この関係がストンと腑に落ちれば、私たちは私たち自身との関係に苦しむことはなくなります。すると他の人たちとの関係、人間関係に苦しむこともなくなります。
理想かもしれません。
試してみる価値はありそう。
私はマザー・アースとお友達として生きている。そう自分に宣言しました。
マザー・アースと私は役割が違うのだから、マザー・アースの長所にジェラシーを感じる必要はありません。むしろその長所が私を助けてくれることの歓びの方が大きいです。
マザー・アースにこころを寄せて、損をすることもありません。もちろん人生は損得ばかりではないけれど、エネルギーを奪われたなと感じることこそ、エネルギーのむだ遣いです。
私の中の女性性と男性性のバランシングがよりニュートラルに近づいてくれたみたい。
女性性と男性性は共に手を取り、お互いの歓びの中でくつろぎ合う。
すべての人に女性性、男性性が備わっています。
このくつろぎ感は、生命の根源ともつながっていますよね、きっと。
新たな一歩。
毎瞬毎瞬、変化・変容の時。
※ 追記
久々に「ですます」調で書いてみました。
いかがでしょうか。
自分なりの感覚では以前より言い回しがスッキリしているように感じます。
上目遣いで相手をうかがう感が減りましたね。
私は私、なのだと私自身が大きな叫び声を上げ続けていたのです。
自己開示。
自分という花をしっかり咲かせてあげましょう。
誰に気兼ねするでもなく。
なぜならそれがマザー・アースの望みであり歓びなのです。
母として父として、友として、私たち自身として。
マザー・アースと同化すれば、必ず自然の中の友達が私たちの親友として名乗りをあげてくれるようになります。
そうやってみんなつながり合います。
リアルなお友達と彼らと、その価値に違いはありません。
数だけたくさんあっても、一方的に哀しい想いが増えるようなら、思い切ってお友達の設定し直しをしたっていいんじゃないでしょうか。
自分のこころの赴くままに。