自然が優しいのはくつろいでいるから

きょうは調子が悪い。

 

朝から波動が乱れまくっている。

 

誰かに何かを投影されたのか。もちろんその投影内容と同じエネルギーが私にあるということなので感じ尽くすということを続けた。

 

ムカツク、何かがムカツク。こんなにもムカツキ虫が飛び出すのはちょっと異常なくらい。

 

ムカツキも私の一部なので、出てきてくれてありがとう、という想いを抱きながら感じる。

 

愛犬・華実とお散歩に行く。

 

数分歩いていたら、涙があふれてきて、なんて自然は優しんだろう、と。

 

自然には攻撃性がない。誰かを傷つけようとか、誰かの優位に立とうとか。

 

さらにこころを寄せてみると、彼らは私たち人間を受け容れる、ただ受け容れてくれる。それが彼らのスタンス。

 

受容だ。

 

彼らが優しいのは緊張がないから。緊張は恐れのあらわれでもある。

 

彼らにはそれがみじんもない。ただただリラックスしてその状態にくつろいでいる。彼らの光の温かさは彼らのくつろぎの色なのかもしれない。その色に触れた途端、涙があふれた。

 

人間にはエゴがあって、もちろんエゴは必要なものだけれど、無自覚のエゴほど攻撃性を秘めたものはない。その攻撃性の奥にあるのは大きな不安と恐怖。

 

不安や恐怖を抑圧し続けるから無意識の内に攻撃的なエネルギーを放射するようになる。

 

さらに邪心。

 

私にも大きな邪心があるのだろうと今度はそれを受け容れる。

 

やっと緊張が解けて、ムカツキ虫がいなくなった。おそらくわずかばかりの不安の統合も進んだはずだ。

 

1月21日は皆既月食でスーパー・ムーンらしい。一つの大きなサイクルの終わりとの情報もあって、揺さぶられているのはそのせいなのかもしれない。

 

ここのところ、ほとんど月の影響も感じられないくらい安定していた気持ちがきょうはものすごい勢いで動きまくった。

 

言葉を変えれば大きな調整をしながら、新たなサイクルの始まりに備えているということだろう。

 

「新天地」

 

今年に入って何回も浮かんできたこの言葉の意味は、このサイクルの変化をあらわしていたようだ。

 

しし座満月。しし座の守護星は太陽なんだとか。

 

前エッセイ『ミモザの蕾が膨らんでいる !』でゴールドの話、太陽神経叢の話をした。

 

その時点ではスーパー・ムーン情報もしし座満月情報も知らなかった。

 

誰かに書かされているというのはこういうことなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※ 追記

 

きょうは朝から大変でした。

 

古い苦みが出ているようで、過去の自分のやり残しや、過去の意識の習慣の整理を急がれていました。

 

当エッセイを書き始めた途端に綺麗なエネルギーがサワサワと私の中を流れ始め、ようやく落ち着きを取り戻せた感覚です。

 

あまりにもムカツキ虫が暴れるので少しだけベッドに身体を預けました。

 

こういう時のパワフル・ヒーラー、愛猫・海・うみは本当にすごい。

 

私の胸の上に乗っかって、私のおでこをペロペロとなめ、前足で私の頬をなでるのです。

 

華実もそうですが、海・うみにも緊張はありません。

 

いつもいつもくつろぎ状態。

 

あまりにもリラックス状態が続くので動物としてそれもどういうもんだろうと思いながら、こうやってヒーリングをしてもらうと、海・うみはくつろぎながら自分で自分を癒し、クリーンにしているんだろうな、ということがわかります。

 

素晴らしき人生の師はここにいます。

 

私は人間だから彼らのようにクリーンにはなれないけれど、彼らにならうことはできるかもしれません。

 

ただ「在る」という状態にくつろぐ。できる範囲で。

 

この、「本文&追記」シリーズ、おそらくこれは、一つのサイクルの終わりと始まりの時期、古い自分と新しい自分がバランスを取ってスムーズに移行するためのあちらの計らいなのではないかと感じています。

 

終わりだよ、始まりだよ、はいわば同時進行なので。

 

死が生の一部であることと同じように。

 

 

 

 

 

 

 

 

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