奴隷。
この言葉にハートが反応を示す場合、統合してもいいよ、のサインです。
私たちは私たちを創り出した存在の奴隷だった、という説があります。
トンデモだろうとなんでも、私自身はなんとなくわかるような気がしたのでその考え方にのっとって自己統合を進めています。
私たちを創り出した存在、が「主人」。
私たちは「奴隷」。
もしこれが真実なら、それは最初から「分離」によって成立しています。
「主人」と「奴隷」がいる限り、この世の中は「分離」のままです。
では「奴隷意識」を統合するとどうなるか。
少なくとも「主人」と「奴隷」の関係はなくなり、「分離意識」が薄まります。
「分離意識」は縦の関係においてそれが顕著になるのではないでしょうか。
「お互いさま」
横の関係であれば「分離意識」は薄まり、協調だったり共鳴だったり、共振だったりの共存共栄だったりの「大いなる何か」という一つに意識がつながりやすいのではないでしょうか。
どんな荒唐無稽なお話でも、少しでも引っ掛かるものがあるのなら、それは自分自身の課題だということです。
自分の中の奴隷意識に目をつぶっている限り、奴隷の立場からは抜けられません。
いつまでも「支配者」の下に隷属する「奴隷」であり続けるのです。自分が「支配者」の立場にあると思っている場合でさえ。
「奴隷意識」の概念は昨年末に浮かんできていましたが、今がベストの時のようです。
自己統合、順調に進みました。
なぜ自己を統合しなければならないのでしょうか。
そもそもが「分離意識」からスタートしているからです。
統合しひとつになるための分離。
分離したものを一つにするための統合です。
最初は一つだったものを誰かが意識的にわけてしまったので、また一つ一つ元に戻すといつか、最初のひとつに戻ります。
分離がデフォルトなのか、統合・融合されたものがデフォルトなのか。
どちらを選んでもベストです。
人生の課題はそれぞれですから。わが道を。