自己愛を育む。自己愛のただ中に在る。
これが私のここ2年間の大きな課題でした。
とことん自分の内に向き合う、という作業を強いられました。
やっと「卒業」のサインが浮かびあがってきてくれました。
これからももちろん自己愛育成は続きます。その方法論が変わります。
今までは真の愛にめざめる必要があったので、ヘビーな方法論が優先されました。
それはトコトン「孤独感」を感じる、という方法でした。
他者に目を向けない。すべての答えは自分の中にあるのだから。それを確信するために。
これからは少しライトな方法で良いと。
自分の内に向かう、という意識設定をしなくても自然に内に向かうモードへとシフトしてくれたようです。私の中の何かが。
修行モードの生き方、これは今まで。
これからは楽しみなさい、自然に笑みが浮かぶような「joy」の波動で生きなさい、と。
その中で「影」や「闇」を感じたらただ感じればいい。無理にそのために時間を割くことはありません。自然に、自然体で、とのことです。
私の中で何かが大きく変わり始めたのは、昨年の12月のこと。
年が明けて、加速度的に変容が繰り返されました。
変容、なんて構えなくてもいいんです。
私たちは絶対変わるから。毎瞬毎瞬、変わるから。変わらないで生きられる命はありません、少なくともこちらの世界では。
人に認めてもらおうとか、好かれようとか、良い人だと思われようとか、意識の高い自分でいようとか、そんなこともすべて「卒業だよ」と。
私たちはどんな人生を歩もうと、その時が来たらこの肉体を脱ぎます。その脱ぎ方は人それぞれです。
それだけです、「死」の意味するものは。そこにさまざまな色合いをつけてしまうからすんなりと「死」を受け容れられなくなるのです、もちろん私も。シンプルにどこまでもシンプルに生きられるといいのですが、さて、どうなんでしょう。
私の中では「深層心理学」のマスター意識が複数活性化してくれていて、これらはもちろんどなたにもある意識。昨年の春、「そうだったんだ」とはじめて気づきました。
私のセッションがスムーズに進むのは、この意識の活性化によるものでした。
心理学の専門家でもなく、勉強もさしてしていないのに、セッションでは真実と思えることが次々と浮かんでくる。
そうなっていたのです、私の人生計画において。理論だけでなく直感との融合。それは時に直観にもつながります。
すべては自分の中から浮かんできます。今ある、この肉体をもつ自分とは異なるところにそのすべてがつまっているようです。
感じる時は自分の内から。
それは意識にストンと落とし込まれる感じです。誰かが話しかけるということはほとんどありません。私自身が解読しない限り、その意識が存在することも意味することさえも気づけません。
私は私自身に信頼を寄せる術を学びました。それがこの2年間の大きな収穫です。
過去のエッセイをみると、大体一年前にお話していた荒唐無稽なことが、今、現実となってあらわれはじめています。
おそらく、その期間は、さらに短くなるでしょう。
自分と共に生きる。自分自身と生きる。それだけのことがなぜこんなにも大変だったのか。大変さもまた人生の歓びだったからですね、きっと。
私のおいは、幼い頃、10年ほど引きこもり生活をしていたんだとか。私はまったくそのことを知りませんでしたが、今回の『精神的ヒッキー、卒業 !』はおいの人生にも関係しているような気がしています。
傷つきやすい光は、必ずと言っていいほど、「ヒッキー」期間を必要とするようです。それは「伸びしろがたくさんあるよ」「あなたのハートにはそれだけの力があるんだよ」というエールでもあるのではないでしょうか。その状況にどっと浸る。それだけで変容は必ず起こります。
変容のサポートが必要な場合は、私のような立場の人間を活用するという方法論もあります。ご自身だけでできるようならご自身で。
またもここまで書いたらハートに激痛です。
ハートの扉、さらにさらに開かれました。
何をしても自己統合につながります。自分自身への信頼を自分の最大の宝とすれば。
自分の内と同一化。