私は多動性。
その傾向がある、と感じたのは去年のこと。
今まで落ち着きがないとは感じていたけれど、多動性の症状なるものを参照したら、見事に当たっていて大笑いしてしまいました。
日常生活に支障はありません。とはいうものの主人はものすごくストレスを感じていたのかもしれないな、と。
いつだったか、確かモーツアルトだったかも多動性の傾向があり、モノゴトを忘れやすいのでいつもメモ帳を持ち歩いていて、何かを思いつくたびにノートに書いて、それで多動性が暴走しないようにしているとのテレビ番組を観たことを記憶しています。
これも記憶はあやふや、多動性なので。
その時に感じたのです、私はモーツアルトの曲が大好き、何かのシンパシーを感じていたのかもしれないな、と。
モーツアルトと言えば胎教にも効く、癒し作用の高い曲を創っていることで有名ですね。そのモーツァルトが多動性とは ? すごく面白い。モーツァルトの曲は誰よりも自身に必要なものとしてあちらから届いたものなのかもしれません。
さて、これも多動性ならでの自己分析です。何かの文書などを参考にしていません。
私の多動性、ここのところますます活性化しています。子供の頃は多動性だなんてことも感じたことはなかったし、もしかして後天的 ?
多分こういうことなのではないでしょうか。
私は元々多動性の傾向のある性格だったのです。そういう発達の仕方、というか。けれどずっと左脳でそれを抑制してきた。おそらく多動性脳は右脳と大きく影響しているのではないでしょうか。多動性の人は自然と相性がよく、自然の中で生活をしているとメリットが活かされ、デメリットは出にくいんだとか。
都会生活をしていると、デメリットに傾いてメリットは活かされにくいんだそうです。
つまり多動性は「本能」に近い何かをあらわしているのかもしれません。
ということは。
私は元々が右脳派で、とても感覚的に創られた命だった。
ところが世の中に馴染むために、自分自身で左脳優位へともっていき、右脳が本来の働きをしないようにコントロールしていた。だから多動性らしき症状は顕著にはあらわれなかった。
ここ最近の多動性傾向のあらわれは、右脳が本来の働きを取り戻し、右脳左脳のバランスがとれつつある状態に近づいた、ということではないかと。元々私のバランスはちょうど真ん中というより、ちょっと右脳より。
右脳、言うまでもなく「感覚脳」、私は「先生」ではなく「アーティスト」「クリエイター」としての魂だと最近とみに感じています。
私の多動性は私の感性に直結する部分。先生脳は左脳の働き。アーテイスト脳は右脳の働き。
ここでモーツアルトのお話につながります。
私が書いている内容は他の誰でもない、自分自身に一番必要な内容なのです。この内容こそ、私への「ヒーリング」。それが共鳴・共振作用によってどなたかの「ヒーリング」にもつながる。
これがエネルギーの伝播。
言葉をかえると、たぶん愛の伝播。
私たちは自分のエネルギーを振動させると癒しが始まるんだとか。
私は書くこと、ヒーリングを行うこと、話すことによって特にエネルギーの振動がおこりやすいタイプ。
それがすなわち、私のお役目でありお仕事であり。
そのお役目を支えている大切な要素、ファクターの一つが「多動性ちゃん」。
「多動性ちゃん」に愛の光をあてることも私の大切なお役目の一つだったのではないでしょうか。
光を感じれば「多動性ちゃん」が暴走しまくる必要もなくなります。「多動性ちゃん」の暴走は、「私はここにいるの。私を認めて」とただそれだけの意味だったのです。
私にとってのちょうど良い塩梅での右脳・左脳のバランシングをやっと今楽しめるようになりました。
「多動性ちゃん」にあらためて「ありがとう」と「これからも仲良くしてね」のメッセージを送ります。
「多動性」には行動の多動性と感性の多動性の両方の意味があります。
行動を一方的に抑圧するのではなく、感性が働きやすいような環境を創ってあげながら行動のちょうど良いを探っていくことはできるのです。
すべてバランシング。