お家エクササイズ。
そこそこ続いています。冬場は身体がかたまりやすいので、頃合いをみながら。
まずピラティス。基本形を二つほど。
それから気功の八段錦にうつります。
さらに時間のある時は、太極拳を。
時間のない時は、もちろん何もできないけれど、この中でダントツに気持ちいいのが、私の場合、気功の八段錦です。
いろいろな流派があって本当にそれぞれなんですが、YouTubeで時間的なものも含めて一番気にいったものを選びました。
女性が行っているもので屋外版。途中で鳥のさえずりが入って、景色もそこそこ楽しめるので私には最適。鳥のさえずりを聴いただけで嬉しくなってしまうのです。
これをやるとたちどころに気が通ります、手の平から気が流れ出します。
なぜなんだろう、と画面を観ていたら、なるほど、とわかりました。
気功は立ったまま行うもので、場所もほとんど動きません。定位置で身体を動かすだけ、呼吸と共に。
その姿が「木」に視えました。
風が吹いてしなったり、大きく揺れたり。
そう、グラウンディングのイメージなんじゃないでしょうか。大地に根を生やした木そのもの。
私の勝手な感覚です。
ヨガは立位もあれば座位もあります。今の主流はアメリカ経由のパワー・ヨガ、あるいはストレッチ系ヨガです。
元々のインド・バージョン・ヨガは三時間くらいかけて休み休みやるものらしく、現代人にはちょっと無理があります。そこでスタジオ・レッスン用の一時間バージョンのヨガが展開されています。
それでもお家ヨガでさえ、ポーズがキツイものが主流。私にとっては。
その点、気功八段錦はポーズはあるものの、スムーズにできるものばかり。好みの問題なんでしょうけど、私的には負荷も少なく、精神的ストレスも少なく、いきなり気にいってしまった、という感じです。
日本のラジオ体操に限りなく近い。八段錦と太極拳を合わせればまさしくラジオ体操と同様のスタンスです。
元々気功も太極拳も武術の流れからできているので、厳密にいえばラジオ体操とは異なります。ただ、私レベルだと健康体操そのもので、家の中でやるのなら、断然八段錦がいいな、と。
その魅力のポイントは、瞬間的に「木」になって天地からのエネルギー、空中の自然なエネルギー、すべての「気」を自らの身体に取り込むことができるからなのでは、ときょうそんなことを感じました。
ヨガも宇宙の生命エネルギー「プラーナ」を取り込むと言われていますが、身体のかたい私にはなかなかストレス。
八段錦はストレスフリー。どこまでも気持ちがいいのです。
気功のルーツはヨガなんだとする説もあるんだとか。
なるほど、ヒンドゥーの教えの「入口はみんな違っても、たどり着くところはみんな同じ」の意味と重なるな、と。
ヨーガの先生の話では、インド人は手足が長く、また身体も柔らかいので、それを日本人が真似するのにはそもそも無理があるとのこと。
気功は中国のものですから、お互い体形なども近いものがあって、それもストレスフリーの要因なのかもしれませんね。
ヨガがお好きな場合はヨガ。
私のように気功が好きな場合は気功。
どっちだっていいんだ、という解放感です。自分にシックリくるものを選べばいい。
私はピラティスも大のお気に入りなので、まったくのミックスでの「お家エクササイズ」です。
「お家エクササイズ」を始めると愛犬・華実と愛猫・海・うみが寄ってきます。寝ながら行うピラティスでは、華実が私の顔をなめたり、海・うみが手にしがみついたりペロぺロしたり、瞬時に「気」が整っているんでしょうね、彼らも気持ちいいところが大好きなのです。
無理は禁物。できる範囲で。
ヨガで煮詰まっていた時がウソのようです。
私は道を極めるわけではないので、すべて「自分流」アレンジ。
自分の心身魂にあった「お家エクササイズ」が見つかり、しかもすべてマイペース。
これで良かったんだ、とホッとしています。
目的は何なのか。私の場合は心身のリラックス。それだけ。
手段に埋没する必要はまったくなかったということに気づきました。
そのお蔭でヨガ・レッスンにも復活できました。
ヨガの私の目的は「呼吸法」。ポーズに関しては「ストレッチ」と割り切りました。今までの先生のレッスンは卒業し、新たな先生のレッスンへ。
この根なし草のようなスタンスが私の大のお気に入り。
また何年かしたらまったく違うことを言っているかもしれません。
私たちは毎瞬毎瞬、呼吸と共に生死を繰り返しているようなものなんだそうです。同じところにとどまっていようとすること自体が無理なこと。
そう考えると、意識の新陳代謝が無事行われているということなのかもしれませんよね、根なし草スタンス。