普通に生きる。
これがきっと一番むずかしい。
私たち人間は「エゴ」があるのでどうしても自分が一番でいたかったり、自分が特別であったりしたくなります。
今読んでいる本には「自我」と「他我」という言葉が何度も出てきて、頭がごちゃごちゃになってしまいました。
そんなこと言ってたら、何もできなくなっちゃう。
それが私の今の結論です。
自我だろうが他我だろうが、自分の中に湧き出てきた意識を受け容れる。
私にはこれしかできそうもありません。
何かしたいな、と思って、「待てよ、これって自我だよね」と思うことの意味があるんでしょうか。
人間にはそもそも他我も自我もあって、その自我は幻想で、とか言っていて楽しく生きられるのでしょうか。
少なくとも私には「無理」です。
挫折しました、断念します。
負けを認めます、潔く。
本来、勝ち負けではないかもしれないけれど、負けを受け容れるのは案外気持ちがいいものです。
その瞬間、新しい何かが自分のところにきてくれているものだから。
『失敗は成功の母』とはよく言ったものですね。
私たちの一見「失敗」は次なる成功のスタート地点ということなのかもしれません。
私たちの周りには動物や植物、そして地球という素晴らしい師がいるのに、その師の教えにこころを寄せないで、「まだまだ」「もっともっと」とさらなる外に向けて渇望のエネルギーを放射していることの意味がわからなくなりました。
頭の中はグルングルンまわっているけれど、できるだけシンプルに普通に生きたいな、が今浮かんできた私の気持ちです。
さっき、家のトイレにクモを発見。
クモちゃんからのメッセージの一つ。
言葉を紡ぎなさい。
夢や希望を紡ぎなさい。
わかりやすい、私には。
楽しく生きよう。肉体としての人生の歓びを味わおう。
そこに失敗や挫折はつきものだから、それも味わいながら。
私たちは自然の一部です。自然体で生きるように創られているんじゃないでしょうか。
その自然体の解釈が一人一人違うのなら、自分に一番しっくりくる解釈を探ればいい。
失敗したら手放せばいい。
その解釈に「参りました」とギブ・アップすればいい。
次なるチャンスのために。
私にはこれがいいな、と。
人の真似をすることがしんどくなりました。
私は私。
あなたはあなた。
人の数だけ人生の歓びがある。
大切なのは自分の真ん中。