私は目が悪いのです、子供の時から。
小学校の高学年、すでに視力は下がり始めていました。
以来ずっとメガネ、コンタクト生活です。
近視と乱視がベース。最近は老眼も進んで、目が悪いことの意味・意義はなんだろうと探ってみました。
そもそもの近視。これは主観的で客観性に乏しいからなんだとか。思春期に目が悪くなる人は多く、その時未来への不安が大きすぎて、大人になることの不安が大きすぎて、真実を視ないようにしよう、とこころに決めた結果が近視となってあらわれるそうです。
乱視もほとんど同じなのですが、乱視の場合、頑固で傷つきやすい、という性格が関係していて、何かに傷ついた時点で頑なに心にフタをしてしまった結果、乱視を招いたんだとか。
老眼は加齢によるものなので、肉体としての変化としてあらわれるのは当然なんだそうです。ただし、それが気になる場合は、将来への不安が大きく、できるだけそこから目を背けようとしていることが原因であることがほとんどだと。
これらは、心と、身体にあらわれた症状の関係を解き明かすという考え方の本を数冊参考にして私なりの解釈を加えたもの。一つの考え方としてこういうことがあるかも、くらいのことです。
現実的には目が悪くても、メガネやコンタクトがあるので、日常生活でものすごく困ったことはありません。コンタクトを落として困ったことは何回かあったけれど。
ここ半年くらい、愛犬・華実の目が少し白くなりかけてきていて、13歳になっているからこれくらいはあたりまえかな、と感じていました。もしかしたら私に何かのメッセージを送っているのかもしれないな、と思い、調べてみたのです。
わが家の場合、愛犬・華実も愛猫・海・うみも天国在住・愛猫・海・かいもみんな目はクリクリタイプです。特に海・うみと海・かいは目力が半端ない。私はものすごく大きいわけではないけれど黒目は大きい方。これは華実とよく似ているかも。華実はほとんどが黒目でしかもデカい。他のキャバリアちゃんと比べても、かなり大きい方です。
目は魂の鏡でもあるので、目が大きいということは、もしかしたら魂に添って意志的に生きる、という人生の計画を立ててきて、けれどその目が小さい時から十分に機能していないということは、人生計画と外れた道を歩んでいるというメッセージがあるのかもしれないな、と感じました。
もちろん目が大きい、小さいで人の価値が変わるわけではないし、大きい、小さいの比較は相対的で絶対的ではないので、流れで出てきたお話です、さらっと流してくださいね。
「ママ、ちゃんと自分につながって。自分を生きて」
華実のメッセージはそういうことなのかもしれません。ここのところ、なぜか私が華実の目が気になったのは、華実が意思的にメッセージを発してくれていて、それをキャッチしていたからなのではないかと、今、ふと思いました。
華実は海・うみと異なり、私との明確なコミュニケーションが苦手なコです。海・うみはその意思を私の中にストンと落とすタイプですが、華実は全身のエネルギーでなんとなく意思を伝えるタイプ。華実のメッセージは、少し時間が経ってから「あの時、ああいうことを伝えてくれていたのね」とわかることが多いんです。
以前まだ私がコミュニケーションできない時、あるアニマル・コミュニケーターさんに華実とのコミュニケーションをお願いしたら、気持ちがあちこちに向いて、ちょっとコミュニケーションはむずかしいと言われたことがあります。
書いていて、笑っちゃいました。
私は日常生活に支障のない範囲ですが、多動性の傾向があるんです。華実、私の影響を受けているのか、あるいははじめからそういうコがわが家にやってきてくれたのか、そう考えると、なかなか縁というのはおもしろいものですね。華実の場合、小さい頃からチョコチョコしていたから、きっと元々気持ちがフラフラしやすいコなのかもしれません。良い意味も含めて。
脱線。お話を元に戻して。
私の目は小学校高学年の時に感じた将来への不安、大人として生きることの不安を抑圧したまま、さらに老眼まで出して、私にメッセージを送ってくれていたのです。
目にこころを寄せて、彼のメッセージをしっかりと受け止めて。
そっか、私は頑固な自分、傷つきやすい自分をごまかそうとして自分の殻に閉じこもって、主観的に生きてきたそのことさえ見てみないふりをしてきたんだ。私の潜在意識の部分。
ビックリしたけれどそんな自分も大切な自分だから、ちゃんと仲直りをして、「ごめんね、今まで感じないフリ、視ないフリ、聴こえないフリをしてきて。あなたの本当の声に耳を傾けて、あなた自分のハートを大切にしていくから、これからもよろしくね」と、内なる自分とのパートナー・シップを築いていこう、と決心しました。
小学校の高学年。私は何がそんなに不安だったんだろう。そのことも気になります。自分につながって、きちんと思い出せるまで、この課題は大切に扱いたい。
私たちの身体にあらわれる症状は「悪いもの」「忌むべきもの」ではなくて、私たちにさまざまな前進のチャンスを与えてくれる素晴らしいGiftです。
まずは「目が悪い」という認識をしっかりした方が良さそうなので、コンタクトを外して「視えない自分」を感じることが必要かもしれません。できる範囲でトライしてみます。
等身大の自分を感じるために。
想い出しました。私は立つと自分の足が視えないくらい視力が悪いのです。
自分の立ち位置さえ確認しないまま生きてきてしまったのかも。
今、気づいてよかった。今だから気づけたのかもしれません。
自分自身につながって、自分の立ち位置を確認しろ、今、と、それが私の「目ちゃん」からの真のメッセージなのでしょう。