こころのゴミ。
私たちの中には想いの他、こころのゴミが溜まっています。
そのゴミがポワンと浮かんできてくれる。
浮かんだゴミに意識を寄せて、何が言いたいのか、ただ感じる。
その瞬間、ゴミは自分自身の宝に変わります。
そうやって、私たちの中に創造物が生まれます。
こころのゴミは創造物の素材です。それがあると創造は際限なく続きます。
創造のない人生なんてつまらない。
創造の歓びは誰にでも与えられた生きる糧です。
その大元がこころのゴミ。
こころのゴミは、私たちが見たくないところ。感じたくないところだったりします。
その基準は道徳的「善悪」です。「光と影」です。「白と黒」です。
このいずれかを私たちは自分にとって良いもの、必要なものとして選択したがります。その瞬間、悪いもの、不要なものを自分の中に創造しているのです。それをため込んでいるのです。さらにさらに増やしながら。
どんな意識もすべて光。
どんな意識もすべてただ在る光なのだとしたら。
光の素材を「いらない」「感じたくない」と自分の意思で、光化のチャンスを捨てていることになりますね。
大きな創造のチャンスを逃しています。
社会現象になっているゴミ屋敷って、私たちにものすごい真実を伝えてくれている貴重な存在なのかもしれません。
ゴミ。
宝石の原石。
宝のもう一つの顔。
こころのゴミは、私たちの「潜在意識」と呼ばれる意識の中に隠されています。
彼らの光化は、私たち一人一人に平等に与えられた歓びのチャンスです。
人生の歓びの種は自分自身の中に際限なくつまっていました。
種を発芽できるのは自分自身だけ。
一見汚いもの、一見不要なもの、一見邪魔なもの。一見目障りなもの。
みんな人生の喜びの友、人生の歓びそのものだったりするんですね。
どこに目を向けるか、その基準は「人」なのか、「自分」なのか。「外」なのか「内」なのか。「恐れ」なのか「愛」なのか。そのどちらもあるのか。
あなたはどう感じますか。