子供みたいだけど、「ちゃんと言えたよ」のお話です。
ランチ。お気に入りのインド・カレー屋さんでのこと。
出てきたカレーがぬるい。
3口食べてみました。いろいろ場所を変えて、スプーンですくって。
やっぱりぬるい。
どうしよう。我慢して食べようかな。でもせっかくのカレーなのに、わざわざぬるいのを食べるのもどうかな。
自分の中で葛藤が始まります。頭があっちこっちに行きます。
勇気を出して、「すみませ~ん」。
インド人のスタッフがやってきて、彼らは日本語がとても流ちょうです。
「すみません、これ、ぬるいんですけど」。
一回目は伝わらず。「あの、温度が低い、ぬるいんです」
「ああ、ぬるかったですか、すみません」
そういってすぐに作り直してくれました。今度はバッチリ。温かいカレーが出てきました。
今までこのお店でぬるいカレーが出てきたことはありません。何かのサインでしょうか。
以前どこかで読んだことがあるんです。
レストランに入ってスープを注文して、それがぬるかったらあなたはどうしますか、といった内容。
私たち日本人は、「自分が我慢すればいい」という事なかれ主義的考え方が身についているので、なかなか「スープがぬるいので温かいものをいただけますか」とは言えない。
けれどそれこそ、エゴなのだ、と。我慢する自分は良い人なのだと感じているのだから、と。
自分はお金を払って、そのお店の商品を買いに来たのだから、そのお店のベストを求めるのは当然のことなんだ、お店にしたってベストを提供して喜んでもらうことが彼らにとってのベストなんだ、といった感じのお話でした。
そう、私は、「ま、いっか」と我慢することが少なくなく、後になってそれが爆発したりするタイプです。言えないんですよね、上手にクレームがつけられない。多分、クレーム=いけないこと、という刷り込みがなされているからなんでしょう。
クレームとまで行かなくても、ぬるいものはぬるい、と伝えて何がいけないんでしょう。でも言えない。
葛藤です。
きょうは10秒くらい考えて、「ヨシ」と勇気を出してみました。
温かいカレーは最高においしい。そのお店に行った満足感も募ります。
「言えた。言えた」と歓びながら家に向かってきたら、なんと正面に富士山がクッキリと。
キャ~、ご褒美だわ。
こんなささやかなことでも心がホクホクしてしまうのが私の特徴の一つです。
たった今、楽しみにしていたビオラ、スイートアリッサムの寄せ植えが届きました。ネット購入品。
土の中にチューリップの球根が植わっていて、春になると満開のビオラの中からチューリップが元気に飛び出してくれる、二倍も三倍も楽しめる寄せ植えです。
今年で三回目の購入です。まだかまだかと商品が届くのを首を長くして待っていました。
待ち人来る。
きっと彼らは素敵なプレゼントを運んできてくれているに違いありません。
ちなみにスイート・アリッサムの花言葉は『優美』『美しさに勝る価値』だそうです。スイート・アリッサムにはじめて出逢った時、あのコンモリした姿と匂いにハートがときめいてしまったことを今でもよく覚えています。『美しさに勝る価値』は匂いのことでしょうか。
もしかしたら、どんなものでも見た目の美しさ以上に素晴らしい価値があるんだよ、のメッセージかもしれませんね。逆の視方をすると、人やモノゴトの価値は見た目で決まるものではない、という意味もあるのかしら。
ちょっとしたことで歓びが膨らむ、そんな年の瀬の一日。
きょうぐらい寒いと、こんなことでも心が温まるのが感じられて、それも素敵。
今、ふとベランダの外を視たら、マンションの植栽の樹々が太陽に照らされて黄金色に輝いています。風が強いので青空クッキリ。
やっぱりご褒美だわ。
※ 追記
当エッセイアップ数分後、ベランダの向こうをみたら。
黄金色の光はなくなっていました。一瞬のことでした、一期一会の光。