黒猫ちゃんが私の目の前を横切ってくれました。
何、言ってるの ? それ、縁起が悪い証拠でしょ。
そう感じたあなた。はい、そうかもしれませんね。でもそうではないかもしれませんね。
私は以前から「黒猫は不吉な存在」という説に違和感を感じていました。
白猫はよくて、黒猫は悪い ?
同じ猫さんなのに色で差別するんだ、黒猫ちゃんのこと。
白猫ちゃんだって黒猫ちゃんだって「猫さん」。
私は色の違いでの差別はしていないけれど、きっと心のどこかで何かを差別するところがあると感じていました。
私自身、差別主義な側面があるんだろうな、って。そういう想いに一つ一つ向き合いつつ。
そういうことに気づくと、迷信とか、本当にあてにならないものが多いなというように考え方が変わりました。
どうしても黒猫がいや、という場合は過去生で何らかのご縁があったのかもしれませんよね。黒猫ちゃんをいじめた ? あるいは黒猫ちゃんを守ろうとしてすごく大変な想いをしたとか。
黒猫ちゃんは私たちの過去生のヒントを与えてくれている存在なのかもしれません。
すべてのモノ、コトがメッセージだとしたら、そういう考え方もあり、ではないでしょうか。
黒猫ちゃんについて調べてみたら、やはり、というか、ヨーロッパなどでは黒猫ちゃんは「福猫」扱いで、ものすごく大切にされているらしいですよ。
また、魔女の証として黒猫ちゃんと生活をしている人が魔女狩りの被害に遭ったことがあるんだとか。
あるいは逆説的に、黒猫ちゃんは不吉のシンボルなので、その黒猫ちゃんが目の前を通り過ぎてくれたということは「厄落とし」「厄払い」ができたよ、という祝福なのだというとらえ方もありました。
ほんと、迷信ってあてにならない。
そういうものに私たちの心はがんじがらめに縛られてきた。
もうそんなのいらないよ、が私の受け取ったメッセージです。
目の前をある生き物が通り過ぎただけで、「きゃ~、不吉 !」って、あまりにも自分がなさすぎではないでしょうか。
もしも私たちがただ歩いているのに、私たちを嫌いな人たちが「きゃ~、不吉 !」って大きな声でいったらどんな気持ちがするでしょう。
そういう気持ちがいじめに発展することもあるのではないでしょうか。
みんなおんなじ命です、命に大きいも小さいも重いも軽いもありません。
そういう、基本の基本をあの黒猫ちゃんは私に気づかせてくれようとしたのかもしれません。
素晴らしき仲間、素晴らしき友人、ですね。
私の住んでいるマンションは、猫さんの外出禁止令のあるところです。
その黒猫ちゃんはノラちゃん出身で、保護活動をしている人のお家にごはんだけ食べにくるんだとか。
敷地内を散策していることは多く、それでも今まで警戒心たっぷりだったのに、きょうは近くに寄ってきて私のお顔をじっと見てくれたんです。
一見、オッド・アイに視えるけど、多分片目はつぶれているみたい。しっぽも切られたようで、半分くらいの長さしかありません。もしかしたら交通事故に遭ったとか。
そんな、サバイバル能力抜群の猫さんにパワー・シャージをしてもらえてLucky以外のなにものでもありません。
私はどちらかというと白猫ちゃんが好みで、だから海・かいも海・うみも白猫さん。
あの、ワイルド感たっぷりの黒猫ちゃんは誰かの使いなのかも ? 今この時に近づいてきてくれたことに意味があるのかもしれません。
少なくともあの猫さんからいやなエネルギーは何一つ伝わって来ませんでした。
白だけがよくて黒は悪い。
その考え自体がその人を苦しめ続けているということはないでしょうか。
黒はすべての色のエネルギーが詰まったパワフルな色、という考え方もあるくらい。
どこを視るか、何を視るか、もっと本質を感じなよ、と黒猫ちゃんからの人間へのエールなのかもしれません。
古代エジプトの神猫さんのシンボルって確か黒猫さん。
私たちが「嫌い」と感じるその中に大切なメッセージが隠されているのです。「嫌い」という感情にも「好き」と同じだけの価値があります。