自分を労わる時代に突入しました。
ここ数年、徹底的に自分自身に向き合い、柱を整えていました。
今までの生き方の延長上に何があるのか ?
今、私たちはどんな変化を求められているのか ?
そのために動物たちは、私たちにどうしてほしいと思っているのか ?
シンプルです、「自分自身を労わって」と、たくさんの犬猫ちゃん、ペット君がメッセージを届けてきてくれています。
今まで私たちは、まず「人」を大事にしてきました。
自分のことより「ペット君」のことを第一に考えてきました。
それはそれで一つの大きな成果を生みました。
その先は、もう何もかも忘れて、とにかく自分自身を労り、自分自身を心底愛する時代が来たのです。
奉仕とか救済とか、そんな言葉も今は昔。
奉仕をするのなら自分自身に。
救済を考えるのならまず自分自身を救っていきましょう。
大丈夫。今までのような宗教的教義は横においても平気な時代がきたのです。
自分自身をいたわること。
それは同時に地球上のすべてを大切に慈しむことにつながります。
自分自身をいたわること、すなわちペット君に対する心からのケアにつながります。
この仕組みがわかってしまえば、何も無理をして、「他人優先」「自己犠牲」の意識を最大限に活用しようとする必要はなくなるのです。
まだまだ心配。
そういう場合は、時期を待ちましょう。
私はあなたよりほんの少しだけ、先を歩いていきます。
私が偉いとか、私がすごいとかそんな意識ではなく、それが私の役割だから。
自分の頭の上のはえも追えないのに、なぜ人の心配ができるのでしょう ?
見せかけの心配、見せかけの愛。
それでつぶれている人がたくさんいます。
私もそうでした。とにかく人のため、と自分の生活を顧みず、奉仕しまくり、自己犠牲しまくりの時を過ごしてきました。
その時はそれで気持ちよかったけれど、大切な何かを見失っているようなこころもとない感覚に襲われることが少なくありませんでした。
なぜなら、それは「自分を見捨てて他人を助ける」偽りの愛だったからです。
今までの生き方を変えられない方はご自分のペースで。宗教がハートに響く方ももちろん、ご自分流に。
動物君との心身共に豊かな共生生活を目指す方は、よろしかったらご一緒に。
ペット君、動物君たちは、私たちが本来の力を発揮して私たち自身の光を最大限に輝かせることを心から願い、応援してくれています。
彼らは私たち人間が思っているよりはるかに強くてしなやかな生き物です。
私たちが彼らにするべきことは、彼らの生活がほどほどの快適さを保てる範囲でのケアです。
彼ら自身がそう望んでいるのです。
五つ星ホテルのような生活、人間並みの高度先進医療なんて彼らにはまったく興味がありません。
なぜなら彼らは自分の内に確かに生きている自然治癒力や本能の力を心から信頼しているから。彼らには彼らなりの創意工夫の歓びがあるんです。
ちょっと足りないな、ぐらいの中から自分でベストをかぎわける、そんな創造性。
彼らのたくましい心、頼もしい心、深い愛は、人間の価値観とはまったく異なるもの。
なぜ私たちは動物君と生活するのでしょう ?
自然界に共に生きる仲間として、共に楽しく、共に健やかに、共に真の豊かさを感じるためではないでしょうか。そのためにお互いの足りないところを補い合い、お互いの素晴らしいところをどんどん引きのばして命の喜びを最大限に味わうベストのパートナーになるためではないでしょうか。
共に、すべてをenjoyするため、もあるかもしれませんね。
その意識が地球の意識へとなるのです。
私たちの意識が生命体、意識体としての地球を創るのです。逆説的に聴こえるかもしれませんけど、これが事実。一つの説、ですけど。
何だかずいぶん遠回りをしてきた気分。それもまた私の人生の楽しみだったんでしょうね。
動物君は、弱い存在でも、小さい命でもありません。
まして私たちの子供でもありません。
先人たちの知識には学ぶべきところもあるけれど、動物君の心身が歓びにふるえるような、等身大の情報ではないことがたくさんあります。
新たなペット・ライフの創造。新たなホリスティック生活の創造。命丸ごと、どんとこい生活の創造。
私はガンガンに進みます。なぜなら、彼らが一番それを望んでいるから。
やっと書けました。うん ? 賭けました、かもしれないですね。
この言葉を私の元に届けるためにどれだけの動物君が関わってくれているんでしょう。
ごめんね、勇気が出せなくて。
もう、平気だよ。
自分自身をいたわり、愛する、というモードが私の真ん中に設定されているから。
そこにはたくさんの味方が群れをなして集まってくれていることがわかっているから。
天国在住・愛猫・海・かい、こちら在住・愛犬・華実、愛猫・海・うみと、共に私からのクリスマス・プレゼント、です。
そうそう、クリスマスにちなんで「イエス・キリスト」のあんなこと、こんなこと調べてみました。
にわか勉強の範疇ですけど、「イエス・キリスト」の教えって、私たちが信じているものとまったく違うみたい。
そもそも「教え」そのものを説いていないのでは、といった説もみつかりました。
へぇ~~っ、そうなの ? ということが山ほど出てきたんです。
何を信じるかはそれぞれ。その人の自由なんだよ、というメッセージが感じられました。
縛りを解く時の到来、かもしれませんよね。
動物君のように自由であれ、と。
自分を大切に。