海・うみ (愛猫)のすべてが好きだよ、大好き。
あるがままの海が大好きなんだよ。
海をみていたらそんな気持ちがふと浮かんできました。
華実・はなみ (愛犬)に対しても同じ感情がわいてきました。
華実のすべてが好き、あるがままの華実が大好き、と。
主人に対しても同じ気持ちがわいてきました。
あなたのすべてが大好き、あるがままのあなたが大好きだよ、と。
真打は私自身。
あなたのすべてが好き、あなたの嫌いなところも含めてあるがままのあなたのすべてが好き。
こんな気持ちになったのははじめてです。
私たちは家族なんだな、魂の同士なんだな。
ものすごく小さい単位だけれど、私にとって最高・最強の仲間たち。
ここに視えない存在がどれだけ加わっているのでしょうか。視えないからわからない。でもゼロとは思えない。
華実や海はそれをすべてわかっている。
わかっていて私たちと一緒に生きてくれている。
それだけで十分です。血はつながっていないけれど、ものすごいつながり感を感じます。
この気持ちがいつまで続くかわかりません。私のことだから、またすぐ、「あ~あ」と感じるかもしれません。
絶対に覚えておきたいのは、私はあるがままの私が大好きだけれど、それと同じ分だけ自分を大嫌いだと感じている時があるということ。
このエネルギーの法則、意識の法則。
これを自分自身のものとするために、私は私の意識に瞑想します。
私自身と一体化するのです。
他の誰かと同一化するのではなく。
エネルギーの仕組み、意識の仕組み、少しだけわかって来ました。
わかったことは自分自身の命の糧とします。理論ではなく、自分の命でそれを実証し続けるのです。
するとまた新たな何かが視えてきます。
その繰り返しです、私たちの人生は。
そのきっかけを海・うみが与えてくれました。
新しいママの始まりだね、って。
私はあるがままのパパとママとオニイタンが大好き。いつもいつの時でも。
だからこの家にきたんだもの。
海・うみ、まもなく5歳。3歳近くまで他のお宅で寄り道を楽しんでました。なんでも最初のお宅では、猫屋敷状態の中からレスキューされたそうです。
わが家は3軒目。私たちとの最初のお見合いでは、ソファの下に隠れて出てきてくれなかったコが、私たちが帰ろうとしたその時に、「私はぴぴ。あなたのところに絶対行くから」と突然話しかけてきてくれて。
あちらのママさんには言えなかった。ごめんなさい。
そう。海・うみは自分の意思でわが家に舞い戻ってきた「しまりす・ぴぴ」だったのです。
なぜ、わがやに ?
「あのね、パパとママに大好きっていうため」
ぴぴの時、海・うみは私たちになついてくれなくて。というのも家にきたその日にしっぽを挟んでケガをさせてしまったから。
ぴぴは10歳までわが家で元気に生きてくれました。数年のブランクがあって猫さんとしてわが家に帰ってきてくれたのです。
「本当はあの時も大好きだったの。パパとママのすべてが。あるがままの二人が。一生懸命そう伝えていたのにパパとママは私にケガをさせた罪悪感でそれに気づけなかった。そのままってわけにいかないじゃない ?」
まったく世話の焼けるお世話人です。
海や華実が理解しているところにはまだまだ届きません。
そんな私だけど、私は私が大好き。だけど大きらい。
それが本当の私。あるがままの私です。
そう思えただけでみっけもの。
なぜなら私はずぅっと自分のことがだいきらいだったみたいだから。
私の潜在意識のお話。そんなことには気づきもしなかったけれど。
好きときらい。
表裏一体。
どちらもがあっての自己愛です。どちらもがいての自分です。
自己愛で自分をいっぱいにすること。自分で自分を満たしてあげること。
それが私たち人間の命の意味。
愛と同一化することが。その愛にはすべてが含まれます。
受容。
シンプルなのに、ものすごくむずかしい。
華実と海にはそれができている。生まれつき。
だから私たちは一緒に生きているのです。魂の家族として。