今年の4月に元親友ともいうべきお友達が突然、天に召されていきました。
その友人とは一時ものすごい「蜜月」時代があって、その後考え方がまったく合わなくなり、お互いに相手を疎む感情をもっていたようです。
前エッセイ『ケチでせこい守銭奴』でお話した「アンチ」の関係です。お互いに「相手が好きだけどそれを認められない。だから今度は相手をいやなヤツと思うことでまたまたお互いの依存を深める」ということを無意識のうちに行っていたことに最近やっと気づくことができました。
彼女曰く、私たちはツイン・ソウルなのだと。
私にはそのことはわかりませんでした。
お互いが魂の友であったことは事実。私たちがこの世で出逢うすべての「縁」はすべてが魂の友だという証なのかもしれませんから。
そこに「ツイン」とか、特別な言葉をつける必要はないのかもしれないな、が今の私の気持ちです。
いずれにしても、彼女とは「蜜月」時代、共依存の関係にあり、またその後も共依存の関係にあり、だからこそ彼女の突然の旅立ちに、私は心底驚いてしまい、同時にショックを受けたのだと、自己分析です。
彼女の突然の死の知らせを聞いて、動揺しながも「彼女の闇も受け容れよう」と決心しました。彼女の闇を自分自身の闇として一つ一つ統合していったのです。彼女は決して「愛」だけの人だけではなかった。その裏にものすごい闇を抱えていた。想い出しくない、感じたくない、どす黒い感情。その正体はとてつもない「不安」と「恐怖心」です。彼女自身が自分の中に抑圧し続けたエネルギー。
それを感じなければ彼女の生きた証はデフォルメされてしまう。ある意味、残された人の都合の良いように。
それだけは避けたかった。彼女の光と闇、どちらも彼女のすべてなのですから。
きょう、「スコン」という体感と共に、お互いの共依存コードが切れたことを感じました。
彼女はすでに光の存在として天に還っています。けれど彼女が肉体を持っていた時この世に残したさまざまな想念を私は引き受けてしまっていたのです。少なくとも私はそう感じました。
彼女の言葉通り、私たちがツイン・ソウルだったとしたら、意識エネルギーの重なる部分は少なくありません。まったく同じ、ということはなくても近い波動の意識が私の中にもあったのかもしれません。淋しくて手放したくなかったのかも。私の潜在意識は。
それがすぅっと消えてなくなった、それがきょうの大きな出来事です。
私たちの大切な存在は、亡くなってもあちらの世界から様々なサポートをしてくれています。同時に、その人が生きていた時に発した想念を大切な間柄だからこそ、強烈に相手に投げかけてしまっていることも少なくありません。
私が思うに、動物君にはそれがありません。だから、仏教でいうところの彼らの成仏や転生は早いのです、人間よりも。
人間の場合、亡くなると残された側にはいろいろ行うべき儀式があって、それでも亡くなった人がなかなか成仏しきれない場合があるのは、生きていた時の想念が強く人々の心に残ってしまっているからなのではないでしょうか。意識の幽霊化です。
想念は誰にでもあるもの、私自身にも。
今まで飛ばし続けてしまった想念を自分自身の力で回収することができます。そのための方法論のひとつとして絶対に感じたくない闇側の意識を一つ一つ感じて受け容れていくというやり方が有効です。
彼女の残しただろう想念を一つ一つ感じさせてもらって良かった。そのチャンスを彼女がプレゼントしてくれていたのですから。
感情や意識と仲良しになる。どんなにいやな感情でも、どんなに苦しい意識でも。
ちょっとずつ回収作業を進めている真っ最中です、今の私は。
それを感じてしまえば、私たちの中に光がまた一つ増えます。
クリスマス・イルミネーションは私たちの内にある光の存在を伝えてくれている、大いなるGiftなのかもしれませんね。
誰の心にも、人々の心を照らす光がたくさんあるんだよ、という。
彼女は素敵な友でした。もうこの世にはいません。彼女との共依存関係は、今の私には必要なくなりました。それが今の私たちの健全な関係です。
そういえば彼女は天使が好きだったなぁ。それと同じくらい悪魔のあなたもいたんだよ。
今なら笑って言えるけどあの時はそんなこともわからなかった。
私にも「天使」と「悪魔」のどちらもがいる。ありがとう、気づかせてくれて。
「天使」も「悪魔」も大切にします。視え方、捉え方の違いなだけで、元々一つのものだから。同じものだから。
私たちは大切な存在を喪失するとおのずと新たな価値をもらえるようになっています。それが生命の自然なサイクルなのでしょう。彼女は旅立つことによって、私たちにこの世で生きる大切さとその意味を伝えてくれたのかもしれません。
すべての魂の友に向けて。