そうでしたか。
というくらいの「ゴーマン」ちゃんが突如あらわれてくれました。
私自身の潜在意識の顕在化です。
今までも「私は傲慢なところがあるんじゃないか」と何回か自分自身に向き合い、統合を進めてきました。
どこか、ポーズだったのかも、そのプロセス自体。
きょうあらわれてきてくれた「ゴーマン」ちゃんはかなりリアルです。それだけに大きなウェイトを占めていのかもしれません、私の潜在意識の中で。
「私のカウンセリングを受けてくれた人はみんな幸せになれる」
「私のヒーリングを受けてくれた人はみんな病気やその状態がよくなる」
「私の本を読んで実践してくれた人はみんな幸せになれる」
これが私の潜在意識からあらわれたゴーマンちゃんの意見です。
潜在意識なので顕在意識ではありません、そう、私の無意識の範疇。深層心理と呼ばれるものです。
顕在意識は自分で認識しているもの。
その対極の意識が必ず潜在意識に潜んでいる。
潜在意識を認識するのはむずかしく、また実際それが顕在化してもたいていの場合、人はそれを「却下」してしまう。そう、ないものとして抑圧するんです、自分の中に閉じ込めてしまう、フタをして。
私の場合、顕在意識では、
「カウンセリング、うまくいくかな ?」
「ヒーリング、本当に癒せるかな ?」
「私の本に書いてあることに間違いはないのかしら ?」
とどこかで感じていたんでしょうね。顕在意識なのに「どこかで」としているのは、それほど明確に意識したことのないことばかりだから。
もちろん、カウンセリングやヒーリング時に、一切の不安、迷いがないと言えばうそになります。だからと言って、それほど自信がなかったわけでもありません。著書に関しては、かなりの自信をもっています。なぜなら、私は「愛」のエネルギーで活動しているから。
とこれまた「ゴーマン」ちゃんなのかもしれません。早い話が自分に見栄をはっていたのでしょう。私は「愛」のエネルギーなんだ、と。実はそこにも大きな不安のエネルギーが隠れていたのに。
このように私たちの顕在意識と潜在意識には必ず、と言っていいほど「両極」の意識が存在します。そのいずれもが自分のものであると受け容れられた時、その両極のバラツキが少なくなります。
日本人は「謙虚たれ」という社会通念の中で生き続けてきました。もちろんそれによって育まれた人間としての魅力もあるのでしょう。一方、私たちの意識には必ず「ゴーマン」な意識が潜んでいて、一見「良い人風」、私も含めて、そういう人の方が「大きな傲慢エネルギー」を抑圧しているケースが多いんです。一見「悪い人風」の人より。
私はカウンセリング・セッションを展開しはじめる時、「リピーターさま確保目的ではなく、一回で満足してもらえるセッションを行いなさい」と自分の内からの指示を受け取っていました。
ヒーリングに関しても同じです。一回で満足してもらえるように、と。
どうすればいいんだろう。と考えた結果、「無になる」、それしか方法は浮かびませんでした。何かの結果に執着すると、きっと大変なことになるだろうから。「お任せ」以外に方法はないと。
そのお蔭なのか、確かにカウンセリングでもヒーリングでも、一回でも満足していただける内容のものをご提供できました。
そのことが積み重ねられているうちに慢心が生まれていたんでしょうね。それが私の「ゴーマン」ちゃんの正体です。
この「ゴーマン」ちゃんの存在を受け容れることによって、もう慢心を抱く必要も傲慢になる必要もなくなります。
それは。
私に真の自信が芽生えた、ということなのです。
こう書くのも「ゴーマン」 ?
いえ、傲慢というのは、自信のなさやコンプレックスの裏返しですから、真の自信とは異なる性質のエネルギーです。自信とは自尊感情だったり、自己肯定がきちんとなされた時に生まれるポジティブな意識エネルギーです。傲慢は、自尊心、自己肯定の欠如がもたらすネガティブな意識エネルギーです。両者に違いはありますが、価値は変わりませんし、また「善悪」「優劣」は存在しません。
このようにエネルギーの仕組みが私の中でより明確な理解になりつつあるのは、たくさんの哀しみや痛みを経験してきたからなのかもしれません。
当エッセイでは、私のリアルな気持ちをお伝えしています。それでもまだまだお話しきれていない自分の中の葛藤が数知れないほどあって、その葛藤に一つ一つ向き合うそのプロセスを積み重ねてきて、はじめてこんな風なお話ができるようになりました。
「ゴーマン」ちゃんは、淋しがり屋の裏返し。本当は自分のあるがままを受け容れてほしいのに、それを素直に表現できなくて、ついつい等身大の自分より大きな自分を装ってしまうという、誰にでもある心の癖です。
今この時、この「ゴーマン」ちゃんがあらわれてくれてホッとしています。
なぜなら、これからはこの「ゴーマン」ちゃんとお付き合いする必要もなくなって、より自分の「素」に近い状態で生きていけるようになったということだから。
いやじゃないかったらあなたも自分の「ゴーマン」ちゃんに向き合ってみてはいかがでしょう。認めて受け容れてあげただけで彼らは、私たちの親友に変身してくれます。いつでもそっと寄り添ってくれます。もし万が一、私たちが暴走しそうな時は、何かのサインを出してそのことを知らせてくれます。
「大丈夫だよ、すべてうまくいってるよ。あなたはあなたのままで平気だよ。安心して。あなたは一人ぼっちなんかじゃないから。すごく大切な存在だから。愛されているから。愛の存在だから。愛そのものだから」
師走に入り、友達のわんちゃんが天国に還ったり、自分がしがみついていた「過去」の人間関係が整理できたり、良い塩梅で「死と再生」のサイクルが自然に流れ始めているのを感じます。
「旅立ち」
一見、哀しいこの現象の裏に必ず、新しい信頼の芽が芽吹いているという事実が存在しています。友達のわんちゃんの旅立ちの裏にも、新たな何かが芽吹いています。
「ゴーマン」ちゃんに出逢えて良かった。これまでの関係を卒業できて良かった。その瞬間に新しい道ができているということだから。
ということは「ゴーマン」ちゃんも創造のパートナーということですね。パートナーということは「ゴーマン」ちゃんにとっても新たな道が見つかったということ。
協調の関係だということです。
「ゴーマン」ちゃんとの出逢いと別れ、は私にとっても「ゴーマン」ちゃんにとっても、変容をもたらすGiftでした。
今回、「ゴーマン」ちゃんに逢わせてくれたのは、もしかしたら友達のわんちゃんかも。彼が旅立ったというお話を聞いた数時間後に特大サイズの「ゴーマン」ちゃんがあらわれてくれました。
ありがとう。