地に足つく。
どんなイメージでしょう、この言葉からあなたが感じるものは。
地面を歩いているんだから地に足ついていてあたりまえ ?
そうですよね、人間は二足歩行をする生き物ですから。
では、さらに深いところにつながる感じ。地面ではなく、地球そのものとつながる感じ、と言ったらどう感じますか ?
当エッセイで何回かお話しています、「グラウンディング」という概念です。
簡単に説明すると、自分が樹になって、その根っこを地球の中に張り巡らす感じです。そうすることによって地球から滋養を受け取ることができます。慈愛も含まれます。気分がどっしりします。安定します。
その感覚のまま、上の世界ともつながる。
そう、頭は宙 (そら)、空のもっと遠く、足は地球、この感覚が生まれます。自分自身が天と地をつなぐパイプのような感覚になります。場合によっては「センタリングとグラウンディング」という表現が使われることもあります。
今、地球とのつながり感が薄れて、どんどん宙へと意識が引っ張られている人がたくさんいます。私がそのことに気づいたのは、去年のこと。それが決定的になったのは今年の4月、元親友ともいうべき友人が若くして突然死で天に還っていった時です。彼女とはいろいろあってしばらく連絡を取っていませんでした。人づてで彼女の死を知りました。
何があったんだろうと、彼女のサイトをのぞきにいって、愕然としたんです。
まったくグラウンディングできていない。少なくとも私にはそう感じられました。
ショックでした。彼女の死を冒とくするわけではなく、けれどこんなにも自分がバラバラになっていたなんて。
その時に感じました、これは彼女からのメッセージだ、「グラウンディングして」という。
きょうある本をめくっていて、やはり、と。その本は数年前に買ったもの。内容がむずかしくまったく読んでいなかったのですが、なぜかきょう突然本棚から落ちてきて、なんだろうと思い、ページをめくっていたらこんなことが書かれていました。
「多くの人が大地から離れてしまっていて、生きていくことに対して慢性的な恐れを感じている。大地から離れてしまっている人に早死にする人は少なくない。」
という主旨のお話です。
私は昨年あたりからこのことをずっと感じていました。決定打にかける感覚だったのと、「死」に関することだったので慎重に情報を、と考えていました。彼女の旅立ちを振り返ると、「やはり」と感じざるを得ませんでした。
精神性優位の生き方をしている人に少なくないのですが、肉体とエネルギー体が生きながらに分離してしまっている。わかりやすくいうと、幽体離脱のような状態が常に続いている。
見た目には地に足ついているのですが、その人の光の身体はそこから離れてしまっていて、「生きる」「生き残る」意欲が薄れてしまっている状態が起きています。
彼女の運命はそういうものだっんだと受け容れています。そこにお役目があったんだ、と。同時に彼女が亡くなった時に多数の人が彼女の死を美化していたことに違和感を感じました。
死は死です、良いも悪いもない。ただそこに「死」の現実がある。
私はリアルに旅立ちを受け容れよう。彼女の光だけでなく、闇の部分も全部ひっくるめて、と痛切に感じました。彼女のデス・メッセージを受け容れることが彼女の生きた証につながるとも感じました。
「グラウンディングして」という彼女のメッセージ。
私はそれを絶対に守ろうと思いました。
私もともすればフワフワしがちな体質なので、グラウンディングを意識してしすぎることはないと。
彼女のおかげでやっと自覚できるくらいの「地に足ついた」感覚にたどりつくことができました。
人が亡くなるその原因はさまざまです。その中に、地に足つかない生き方を続けている、ということが含まれているのは事実なのではないでしょうか。
私がグラウンディングとお話し続けている理由はそこにあります。もちろん「死」はいけないものでも忌むべきものでもありません。だらこそ、「死」にポジティブな意識をもたせる意味でも、「生」のあり方にきちんと向き合うことが必要なのかもしれません。
「グラウンディング」は肉体として生きる私たちにとってしごく自然で普通のことです。
当エッセイを読んで不快になる人がいたとしても私はこのことをずっとお伝えし続けます。そこから何を感じるか、どう考えていくかはその人自身の課題です。自由です。私はお伝えするだけです。
私にとって、地に足つける、その意義は人間として忘れたくないことの筆頭です。
息=生きるにつながります、呼吸も大切。
それと同じくらいに「グラウンディング」は大切です。
何を寝ぼけたことを、とか、まったく意味不明と感じる人は別にして、少しでもハートに響く場合は、ご自分で調べてみてはいかがでしょう。
「グラウンディング」の解釈も人それぞれです。その中で一番しっくりくるものを自分自身でお試しになってみるといいかもしれませんね。
私自身の中では今のところ「グラウンディング」することのデメリットは思い付きません。
グラウンディングは、「地に足つける」「物事を物質生活で実現していく」という意味の言葉です。「物事を精神世界で表現していく」ことではなく。
死と再生。
彼女の肉体はあの時一旦「死」を迎えました。「グラウンディングして」という彼女のメッセージは意識として私の中で再生されたのではないでしょうか。
あの時の「グラウンディングして」は、もしかしたら私自身の潜在意識の発した言葉だったのかもしれません。
どんなメッセージも自分のため。目を背けず、まっすぐ向き合いたい。
いま、ふと彼女の微笑みを感じます。
さて。
きょうも愛犬・華実とお散歩を楽しみます。大地を一歩一歩踏みしめながら、地球の息遣いを感じながら。その息遣いは地球意識のハグだと聴いたことがあります。
ふわふわ気分を味わいながら、同時に地に足つける感覚。
お散歩は誰でもすぐできる「グラウンディング」手法です。
歩く、ただ歩く。自分の足にも意識を寄せられますね、この身体を支えてくれて、いつも一緒にいてくれる大事な足に。
こんなにも私たちは大切にされている。
そっか、それが彼女のくれたもう一つのメッセージなんですね、きっと。