愛という言葉を使うと、うそくさくなったり、うさんくさくなったりすることがあります。
それは「愛」を特別視していたからだ、とわかりました。
「あまねく愛」
今朝、その感覚に包まれ、その言葉が浮かんできました。
私たちはみんな愛に包まれている。
私たちの周りはすべて愛。
私たちもすべて愛。
一見「敵」と思える存在さえ、私たちの味方であり、パートナーであり、仲間なのですね。
そこに「敵」という価値観をつけてしまったのは、他ならない私たち自身。
すべて味方だった。
すべて仲間だった。
そう、大嫌いなあの存在でさえ。
きのうの夜、寝る前に「今までの私のすべてと、私に関わってくれたすべての存在を許します」と唱え、数分間その意識に瞑想を行いました。
そのお蔭なのでしょうか、今朝の「あまねく愛」の体感は。
苦手な人、数人の顔が浮かんできました。彼らの中に愛のGiftが託されていたことがすぐにわかりました。
すべて愛でした。
すべてGiftでした。
こんな風に気持ちはある日突然変わります。
そうなっているようです。
私には「愛着障害」という心の特性があります。
愛への執着。言葉をかえると愛への過度の依存が私の心の特性でした。
愛と対等。
愛とお友達。
等身大の愛。
愛そのもの。私たちのすべてが「あまねく愛」。
このことを想い出すための「愛着障害」。ありがとう。