いのちの洗濯 グアム編 3

◇ 水、海との和解

いのちの洗濯。

 

今回は、ルーフ・バルコニーにジャクジーのある部屋に泊まった。

 

私は泳ぎが苦手。海が大好きなのに、シュノーケリングをしていておぼれかけた経験がある。座りながら水上スキーをやって転んでしばらく水中に逆さづりになったこともある。

 

その、そもそもの「恐れ」は人類すべてに共通する「恐れ」、「水没」という恐れに直結しているらしいと気づいたのが旅行の数日前。

 

今回の旅には、「水に関するカルマ、トラウマの昇華」という課題があることに気づいた。

 

なるほど。どうりで私には水難の相があった。

 

海が大好きなのに、海=恐怖の象徴という刷り込みがなされているらしい。私にとってその海が美しければ美しいほど、その恐怖も半端ではない、との潜在意識のあり方に驚いた。

 

そういえば、生まれてはじめて美しい海と遭遇したのがサイパンだった。サイパンに強いシンパシーを感じたのは、「好きだけど怖い」という潜在意識が私の中で葛藤を起こしていたためだろう。

 

「好きだけど怖い」はものすごく根深いところでおそらく万人に共通している意識だ。

 

「好きだけど怖い」

「怖いけど好き」

 

実は人間にはこの両方の意識があるのだと感じた。

 

「好き(だけど怖い)」

「怖い(けど好き」」

 

(  )の中は潜在意識。例えば私の場合、海は「好き」が顕在意識となり、「怖い」が潜在意識にある。おそらく、死は「怖い」が顕在意識となり、「好き」が潜在意識にあるのではないか。死を「好き」と感じるなんておかしいと思うかもしれないけれど、私たちは「元に戻れる」という意味で、決して死が嫌いな生き物ではないはずだ。

 

話を元に戻そう。

 

今回は「水没、水難に関する過去生でのトラウマ」をしっかりと統合して、昇華するための旅でもあった。

 

「水没、水難」の後は、「蘇り」、そう「再生」のドラマが繰り広げられる。逆にいうと、「再生」のサイクルを踏み出すためにはきちんと「水没、水難」への恐れを統合しなければならない。

 

「水没、水難」=「死」だ。私は一旦「死」を感じきらなければならなかった。

 

その場所に選ばれたのが、サイパン同様海の美しいグアムだったというわけだ。サイパンとは海続き。世界と海続き。同時に深いところで世界と、地続き。

 

グアムで滞在先に選んだホテルは、旅行中に知ったことだが「水をテーマにした」ホテルだった。

 

今執筆していて気づいたこと。

 

生命女神の像は、台風被害の後に創られた像だ。風の害もあるだろうが、水の害もあったはず。

 

生命女神はこの地球を創った。

 

地球は水の惑星だ。

 

その地球で、水害が起きた、すべての命を飲み込むほどの猛威をふるって。

 

その時の恐怖が私たちの命にしみ込んでいる。死の恐怖。それを統合すること。それが今回の旅でのミッション。

 

私の最愛の猫、「海・かい」、そして「海・うみ」。

 

今私が住んでいるところは「海」のすぐそばで、住所には二つの「海」の文字。

 

どれだけ私が海を好きで、どれだけその海に飲み込まれた恐怖が強いかがやっとわかった。

 

私は海が好きなだけではなく、とことん海が怖いのだ。

 

そのことを我が身に刷り込むかのように、屋外ジャグジーで何時間も泡ぶろにつかっていた。

 

水への恐怖をしっかりと統合・昇華するために。

 

そのためにこのホテルに呼ばれ、この部屋に招かれた。

 

バルコニーでの時間はどこまでも快適で、真っ黒な大アゲハが何回も私たちの周りに集まってきた。時に、黄金色のようなバッタなのか、あるいは蝶々とトンボのミックスのような虫が何度もやってきた。

 

どちらも日本ではみたことのないタイプ。

 

彼らがこちらの世界の生き物なのか、あちらの世界から飛んできているのか、そんなことはどうでも良かった。ただ羽の生えた生き物が私たちの周りを旋回している。それだけだ。

 

ふやけるほどジャグジーに浸かりながら水平線をながめているうち、こんなに海が好きで、こんなに海に愛されていたと感じていたのに、潜在意識にはそれと同じだけ「海と水に対する恐怖」が息づいていたことをやっと認めて受け容れることができた。

 

普段はリゾートを訪れても海に足を入れることもないまま、旅を終えることも少なくない。

 

今回はこの後、海にしっかりと足を入れることができた。今まで、サイパンの海の方が綺麗だと思っていたけれど、それは思い過ごしだった。グアムの海もまた美しい。

 

海はただただ優しく私たちを包んでくれた。私が海を心底恐れていて、それを抑圧し続けてきょうまできてしまって事実も含めて。

 

彼らにあるがままを受け容れてもらう。

 

それが私たち人間の最大の歓びなのかもしれない。

 

リバーシング。この世での命の源に還る旅。

 

グアムの海はどこまでも美しかった。これがミクロネシアの実力だ。

 

地球の実力だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※ いのちの洗濯 グアム編は1~6まで続きます

 

 

 

 

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