「無条件の愛」のエネルギーが生まれ変わりました。
「無条件の愛」、これは私のヒーリングのメイン・エネルギーです。
今朝、久々に自分自身に向けて「無条件の愛」でのヒーリングを行いました。
まず右脳に鋭い痛みが生じました。
しばらくしてあるサイトを開くようにとの指示の意思が伝わってきたのでそのサイトをみると。
見慣れた蓮の花のイラストがまるで3Dのように立体的に見えました。
「無条件の愛」には蓮の花の精霊のサポートが入っています。蓮とのつながりが深まったとのメッセージでした。
ロータス、の言葉が何度も浮かびあがってきたのです。
「ロータス」で調べてみると、東洋的には「精神の解放」の意味が。西洋的には、聖母マリアに由来のある白ユリに姿をかえ、「創造と純粋さ」をあらわしているとの説がありました。
また特にインドでは、豊穣と富と美の象徴「ラクシュミ」との関係が深い花であるとのこと。
当エッセイで何回かお話していますが、私は古代蓮に何回も呼ばれたことがあります。古代蓮とは一説によると3000年も前の種が今なお発芽している、当時の叡智を蓄えた生命力の強い蓮の花のことです。
後で知りましたがバリ島では蓮寺としても名高いサラスヴァティー寺院にも呼ばれていました。サラスヴァティーは芸術や学問ほつかさどる知の神様としてインドで信仰されている存在です。
私のヒーリングの力が開花したのは4年ほど前のこと。ある日突然、ヒーリングできるようになっていました。おそらくその裏には蓮の花の精霊の存在があったのではないかと感じています。
ここ半年ぐらい、ずっと「グラウンディング」のメッセージが伝わってきていたため、意識的にマザー・アースとのつながりを深めようと愛犬・華実とのお散歩も大切に過ごしてきました。そのお蔭なのでしょうか、夏ごろからわがベランダの花たちがさまざまなメッセージを伝えてくれていることに気づきました。お花だけではありません。鳥や虫などもそれぞれみんな温かいメッセージを届けてくれていたのです。
これが「グラウンディング」の意味なのだな、と感じていたのですが、その流れなのでしょう、蓮とのつながりが深まったよ、のメッセージが届いたのは。
蓮は泥水のようなところからあの美しい花を咲かせるため、「忍耐」の意味も伝えているんだとか。しかも泥の中に生えていても泥に染まらない知恵の本質や心、精神の純粋さなどの意味もあるそうです。けれど泥がなければ蓮の花は存在しえない。泥と蓮は一対で「ロータス」となる、ということなのでしょうね。
「無条件の愛」のエネルギーに、これらロータスが託してくれたさまざまなエネルギーがより一層強く含まれることになりました。
ただし、これは私の個人的解釈として、条件付きの愛の存在を受け容れたからこその「無条件の愛」だと感じています。
宗教的な「慈悲」の概念はすべてが一つ、という全体性・全一性の意味が込められています。その中に「条件付きの愛 =エゴ」もしっかり存在する、というのが今の私のとらえ方です。愛の全一性の中には「エゴ」も含まれる。「無条件の愛」とはすべてを包括する愛だと思うから。
自分のすべてを愛し、無条件にあるがままを受け容れていきたいあなたをサポートする「信」無条件の愛のエネルギーの誕生です。「信」がついているのは、ご自分への信頼、生への信頼の意味があってのことです。その中には一見「泥」も含まれています。
このエネルギーは特に女性性の統合、融合、成熟をサポートします。
セルフ・ヒーリングで最初に右脳に痛みがきたのは、私の中の女性性のよどみ「クリア」のメッセージでした。今まで左脳が右脳の働きをブロックすることも少なくなかったのですが、これで本来の形で女性性がフル稼働してくれることになりました。同時に私の右脳の働きも本来の姿をみせてくれるようです。
アーティスト、クリエイターの方にも最適ですね、「創造性」「芸術」の言葉も強く浮き上がってきてくれていますから。
自分自身を愛することは生への信頼に他なりません。あなたにとって「最愛の人」はあなた自身であることを思いいだす、ハートが感じる歓びを体感できる、そんなエネルギー誕生です。
※ 追記
当エッセイ執筆 2018/11/21。アップ22日。
当エッセイ執筆後、私の中から超ネガティブな感情が浮かんできてアップすることができませんでした。
その正体は、私自身の中の「泥」ではないかと感じました。
さまざまな「泥」を統合しながら前に進んできたつもりですが、まだまだ私の中にはたくさんの「泥」が潜んでいるのです。この「泥」のお蔭で、新たな「無条件の愛」のエネルギーが生まれました。
けれど油断すればいつでも「泥」は膨れ上がる。
その真実を忘れてはいけないよ、というメッセージだと感じました。
本文でも触れていますが、泥がいけなくて無条件の愛だけが素晴らしいわけではないということなのでしょうね。
それが以前の「無条件の愛」との大きな違いなのでしょう。
私たちは「泥」と共に生きながら、それでも「泥」に染まりきらない強い何かを携えた存在なのだ、というメッセージだと感じます。「泥」の中に潜む深い愛こそ、「無条件の愛」の正体なのかもしれません。
当エッセイをアップできなかったのは、私のエゴが「そんなこと書いていいの、平気なの ? あなたにはそんな力はないんじゃないの ?」といっているという彼らなりの愛から出てきたものだと感じました。いつもいつもそういう声が私たちをサポートしてくれている事実も覚えておきたいもの。彼らの暴走を防ぐためには、抑圧ではなく、一度そのすべてを受け容れることが必要なのかもしれません。自分自身の本質で。
同じエネルギーであってもヒーラーの意識によってそのエネルギーは変わる、というのが私の個人的捉え方です。ヒーラーもまた学びの途中ですから、そのヒーラーがキャッチできるエネルギーも当然ヒーラー自身の意識と連動しています。
そう考えると光の導管として、少しだけ「クリア度」をアップさせてもらえたことの祝福なのかもしれません、今回の「信」無条件の愛の誕生は。私自身の自己受容と自己愛が進んだ証なのだと、感無量、そして感謝。