東洋思想エゴ、統合

東洋思想エゴ。

 

あなたはこの言葉からどんなことを感じるでしょうか。

 

私の中に浮かんできたものは

 

〇 輪廻転生の概念から、古い魂であることの自負と虚栄心が膨らむ

 

〇 それに付随して、西洋思想には限界があるとの優越感が膨らむ

 

〇 それに付随して、西洋医学などに対しても限界があるとの優越感が膨らむ

 

以上三点です。同時に

 

〇 西洋思想および西洋医学に関するコンプレックスが膨らむ

 

ということも感じました。

 

本来、東西とわかれていたものではなく、一つのものだったはずです。いつから「西洋」「東洋」と分けて考えるようになったのでしょうか。キリスト教圏などでは輪廻転生の概念がありませんから、東洋思想のそれとは大きく異なる世界観が拡がっています。それに「良い」「悪い」はないはずです。

 

それなのに双方でお互いに「自分が一番」としているのが現在の考え方ではないでしょうか。

 

これは私たちの中にある「女性性」と「男性性」を分けて考えているのと同じかもしれません。元々一つなのになぜか分離意識で捉えてしまっている。

 

私はホリスティック・ケアの考え方を生活に取り入れていますが、現状ではホリスティック・ケアは現代医療とは別物との認識が一般的になっているのを感じます。本来であれば西洋医学もあり、東洋医学系の代替医療もあり、そのすべてがホリスティック・ケアであるところだと感じるのは私だけでしょうか。

 

スピリチュアルな世界においても同じです。「日本人は特別」という言葉をどれだけネットの中で目にしたことでしょう。その言葉を目にするたびに、「なぜ、そんなに選民意識が必要なのか」、正直私にはピンと来ませんでした。禅などの考え方に触れても、かなりの確率で西洋思想、およびそれと関連する宗教に対して、「二極化の考え方の彼らはすぐに敵を作りたがる、その考え方には大きな限界がある」という意見が出てきます。

 

もちろん対立や争いの意識は多すぎれば大きな問題を生むことにつながるでしょう。けれど二極化をワンネスと比べて「足りないもの」としている時点で、その人自身が二極化にとらわれているのではないかとも感じていました。

 

そして、これらの意識がすべて私の潜在意識の中にあったことにやっと気づきました。私は自分の過去生はわかりませんが、もしかして欧米のどこかで生きたことがあるのではないかと。だとすると、たまたま今生でこの日本という国に生まれただけであって、私の中には西洋思想も西洋医学も、その他「西洋」と表記されるすべての意識が私の命に息づいているのかもしれません。

 

その、「西洋」の部分をジャッジして、「東洋」の部分だけが特別、としていたら自分自身の中で分離が進んでしまうのではないかと感じました。

 

「西洋」には「西洋」の得意分野があり、「東洋」には「東洋」の得意分野がある。お互いに相手の良いところと足りないところを理解して、受け容れて、さらにお互いの足りないところを補うという考え方に至ることができたら、少なくとも自分の中での「分離・分裂」が進んでいくことはないでしょう。

 

このエネルギーはかなり重いものでした。集合意識として地球上のそこかしこに渦巻いているものだと感じました。

 

何回も何回も統合が必要なものの筆頭に挙げられるものかもしれません。

 

東西の融合。東西の分離。

 

そのどちらもの意識があるのが私たちすべてに共通していること。であれば、その事実を認識して受け容れていくという地道な作業はおそらく万人に共通した課題かもしれませんね。

 

少なくとも私はそう感じたので、今後もこの統合作業は続けていきます。何より、私自身のために。たとえそのことを「エゴ」と呼ぶ人がいたとしても。

 

 

 

 

 

 

 

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