食べる瞑想、本日のランチ時に実践してみました。
きょうはお気に入りのインド・カレー。これをいただく時に呼吸に合わせて、食べる、という意識に集中して瞑想を試してみました。
お店なのでたくさんの人がいて、気持ちがあっちに行ったり、こっちに行ったり。やっぱり食べる瞑想は難しいな、と感じました。
ところが。
そのお店では食後においしいチャイが出るのですが、チャイを飲むときに食べる瞑想モードに入ったら。
なんとチャイにハートマークがあらわれたのです。最初は大きなハートマーク一つ。最後は三つのハートマークが出てきてしまってビックリ。
一人ランチですから話す相手もなく、自分一人でその喜びをかみしめてしまいました。
確か「水の伝言」の作者さんは、水に綺麗な言葉をかけるとその結晶がとても美しいものになる、との見解を発表されていましたね。理屈はわかるけれど、個人的にはあまり興味がなかったので、食べ物や飲み物に感謝や祝福の想いを伝えることは今までもしてきたけれど、きょうのように明確な意図をもって「瞑想モード」に入ったことはありませんでした。
たまたま、だったのかもしれませんが、そのたまたまが「必然」だということは、なんとなくわかりつつあるこの頃。
私はチャイが大好き。きょうはその生産に関わった人たちの想いが何かの形で伝わってくるのを感じました。
ふむふむ、もしかしたら「水分」だとその波紋が出やすいのかもしれませんね。
私がチャイに向けた意識は「ありがとう」と「愛」でした。
何だか食べることに対する楽しみが増えてしまった感じです。これもやりすぎることなく、制限に向けることなく、自然体、自分流でやりたい時だけやっていこうとそんな気分です、今。
当エッセイを執筆している途中で、なぜか「無意識」のうちに「1」の連打が起こりました。自分では打ったつもりはないのに、画面に「1111111・・・・」の表示があらわれました。
もしかして「書く瞑想」が始まってしまったのかも。
以前当エッセイで「日常生活の中に瞑想をとりいれるのではなく、瞑想状態の中に日常生活をとりいれる」とお話したことがあります。
なんとなく、それが現実のことになりつつあるのかな、と。
おもしろいですね、言葉にしたことが数か月後には現実のことになっている。ということは数か月前の私の潜在意識は、おそらく今のこの状態を察知していたということなのかもしれません。
潜在意識と顕在意識のつながり、そしてその流れがより自然にものに近づいているということでしょうか。
朝、瞑想をしていた時に、知らないうちに時間が流れていて、自分の感覚と実際の時間に2時間くらいの誤差が生まれていました。ついつい何かに夢中になって時間が経つのも忘れてしまう、という経験は今までもそれなりにしてきましたが、きょうの時間のぶっとび方は、記録的というか、初の体験・体感です。
これは「変容の時 ?」。
私たちの心には「ホメオスタシス」という作用が備わっていて、何かが起きた時に元に戻ろうとする働きをしてくれるんですが、人間は変容がとてつもなくこわくて、思い切り「ホメオスタシス」を働かせてしまう、との説を以前どこで目にしたことがあります。
身体の機能でいうと、「ホメオスタシス」は自然治癒力とつながる頼もしい働きにつながります。
一方、心の機能でいうと信じられないほどの「不安、恐怖」を浮かび上がらせるんだとか。
そこでその不安・恐怖をないものにしようと逃げると、変容は進まず、元の状態に戻り停滞が起きるらしいのです。
なんでも感じる、たとえ死にそうなくらいにつらい不安でも恐怖でも。
するとその先に以前よりはるかに明るい世界が拡がっているのかもしれませんね。
もちろん変容も自分のペースで。もしも自分のハートが「まだ怖いからここにいよう」と感じたとしてもそのこと自体は悪いことではありません。
何が起きても何を感じても自分を責めない、ただ認め、受け容れる。
シンプルなのに、なかなか難しいこの道、ちょこっとだけ進み方が見えてきたようです。
食べる瞑想も調べてみるといろいろな方法論がでてくるのではないでしょうか。その時に「これをしなければ」と思う必要はまったくないということです。逆にいうと「これをすれば絶対に何かが変わる」ということもないということ。
他の人にとっての「ベスト」は自分にとってのベストとは限りません。どんなに権威ある人の言葉だとしても。
人の言葉より自分の感覚。
今の私はそう感じます。食べる瞑想のやり方もいつも通り「自分流」を創造してしまいました。
なぜなら他の人の考えた方法は私にはシックリこないから。どれだけ「我」が強いんだ。けれどこの時の「我」は多分私に光を与えてくれる「我」です。
※ 追記
当エッセイアップから2時間。家でたんぽぽコーヒーを飲みながら食べる瞑想を実践してみました。つまり瞑想状態の中でたんぽぽコーヒーを飲んだのです。
結果。
飲み終わったカップの内側の底をふとながめてみたら、またも大きなハートマークが出ています。食べる瞑想ではまぢかいなく愛のキャッチボールが成立するようです。
つまり意識的に相手とつながるように呼吸をすると、お互いの愛の波動が共鳴するのかもしれません。
瞑想とは呼吸によって自分の中の愛を引き出し、確認することなのでしょうか。自分は愛の存在であると。