お家ピラティス&お家太極拳を始めました。
ピラティスのベーシックなポーズをYouTubeにならって行います。これによって眠っていた身体にカツを入れます。その後、太極拳の動きをこれまたYouTubeの誘導で2~3パターン行います。
この流れだと体幹にスイッチがより入りやすいようで、太極拳のみで行っていた時より気の整い加減がグンと変わってくることを発見しました。この中にヨガを入れることもあったのですが、私は元々ヨガより太極拳の方が「入って」来やすいタイプだからか、このペアリングだとすごく自然な感じで心身がスッキリするのを感じました。
ピラティス、太極拳、ヨガ。この中ではヨガ歴が一番長いのですが、瞑想は独自の形で進めてしまっているし、ヨガのポーズ、アーサナと言います、アーサナは柔軟性を求められるものが少なくなく、身体のかたい私には今一つしっくりこないという場合も少なくありません。
ということは私にはヨガは合っていないのかも、と14年目にしてやっと自分との相性に気づくことができました。さらに加えるとヨガの場合、その性質上先生の思想が入ります。もちろんどんなものでも先生の思想は入るのですが、元々宗教的位置づけのヨガはとりわけそれが強いように感じています。
つまりヨガは先生流の「がんばり」を求められるケースも少なくありません。今、習っているヨーガの先生は「頑張らない、各自のペース、ポーズで」という考え方の先生なのですが、グループ・レッスンになるとどうしても人に引っ張られる自分がいるのを感じます。ということは私は人と比べたり、競争したり、という意識がまだまだ強い方だということです。
それはそれで悪いことだとは思いませんが、心身を解きほぐす、という目的の中だと、自分の中にちょっとした葛藤が生まれたりします。
そういうことをいろいろと考えるのは面倒くさいタイプなので、しばらくヨガ・レッスンはお休みの予定。お家ヨガもかなり限定したポーズに絞ろうと。そうした経緯があってたどりついたお家ピラティスとお家太極拳の組み合わせは私にはかなり効果的だと感じています。
ビラティスとヨガ、両方勉強している先生にお話を聞いたところ、ピラティスはヨガや太極拳の概念でいう「ハラ=丹田周り」へのアプローチが徹底的に行えるものなので、ベースとしてピラティスをやっているとヨガも太極拳もさらに「入りやすくなる」とのことでした。
なるほど「ハラ」か。私たち東洋人には特に「ハラ」へのアプローチは重要だといわれています。一般的に欧米の人はハートにアプローチ、東洋人はハラにアプローチするとも言われています。下腹にぐっと力を入れる感覚ですね、「ハラ」へのアプローチとは。
ピラティスは胸式呼吸がメインなので一見「ハートへのアプローチ」のようにも思えますが、実は両方へのアプローチを可能にしているものだったんですね。具体的にいうと、骨盤底筋などへも確実にアプローチできるものです。だから「ハラ」。骨盤底筋はそれだけが単独で機能しているわけではありませんから。
さて、実際にピラティスのポーズをしてみるとわかりますが、私の場合、体幹はまだまだグラグラです。身体の芯がしっかりしていない。ただ半年間のレッスンでほんの少しずつ、身体の芯が整いつつあるのを感じることができています。
このことから、土台をしっかりさせなければ、表面的なところにアプローチを試みてもなかなか思うような結果は得られないようだ、ということがわかりました。逆にいうと、土台、ベースを整えることがいかに大切か、ということなのかもしれません。
私の場合は、元々背骨なども曲がっていたのでしょう、もちろん骨盤も。実は背骨や骨盤に歪みのない人はいないと言われているんだとか。たいていの場合、日常生活に支障がなければ問題なし、との認識で生活していますから、私自身もまずその土台、ベース作りをなんて考え方に至らなかった。その点でピラティスにたどり着けたのはLuckyだったし、同時に必然といえば必然だったのかもしれません。
なんといってもピラティス&太極拳の組み合わせは気持ちい~い。スポーツ・クラブでのピラティス・レッスンも続けますが、お家ピラティス&お家太極拳でさらなる「ハラ強化」を楽しもうかな、と、そんなところです。
この二つの組み合わせは私に「がんばらなければ」という想いを抱かせません。とても楽ちんにエクササイズを楽しめます。
これは私の持論なのですが、長く続けるには「がんばり」はダメージを伴うことも少なくはないということ。もちろん「がんばり」がいけないということではありません。適度な「がんばり」は必要です。ただしその適度が知らないうちに「もっと、もっと」となると、アドレナリンなどのストレスホルモンが優位になって、結果、血管の収縮などを招くことにもつながりかねません。心身の解きほぐしが目的のはずなのに、気づいてみたら心身にストレスをためていた、ということが実際に起こり得る、ということなのでしょう。
私の場合は、運動神経が鈍く、リズム感もなく、とにかく運動は苦手なタイプなので、たとえ効果は緩やかだったとしても長く続けられるもの、その方法が一番大切。ここにきてやっと自分流エクササイズが見つかった感じです。
自分流、「自律」ということですよね、「他律」ではなく。
ヨガ時代の私は「他律」だった。その14年があったお蔭でやっと「自律」にたどり着けました。どんなものでも人の真似ではなく、自分流、オリジナルを探り創造していくことが私の人生の目的だったんだな、と遠回りをしながらたどり着いた「今」の一つの答えです。
ここにたどり着くのに「ヨガ」はなくてはならないものでした。その「ヨーガ」「ヨガ」との適切な距離感がつかめたこと自体が私の「ヨーガ」での最大の学びだったのかもしれません。
人にはそれぞれ向き不向きがあります。それ自体に「優劣」の違いはありません。自分に合ったものを自分のペースで楽しむ。それが一番です、苦行ではなく。
今までの私は自分に「苦行」を強いる魂でしたが、これからはとにかく楽しむこと、歓びを感じることを徹底して味わっていこうとそんなことにも気づけました。
私の場合、お家ピラティスはベッドの上で行うのですがそこに愛犬・華実と愛猫・海・うみが寄り添ってくれることが少なくありません。
至福の時。
大切なことを思い出させてもらっています。
お金をかけたり、ウェアに力を入れたりしなくても、お家でこんな贅沢な時間を楽しめるんです。大体、華実と海・うみの「気」はものすごく強くて綺麗なんですもの。たとえ理想とされるポーズとは程遠かったとしても彼らとつながる時間を楽しむ方が、私には断然効果的です。
何かを取り戻しました。