2018/11/11にどうやらタイム・ラインが書き換えられたようです。
以来、子宮と卵巣、特に左側の卵巣が痛くて仕方ありません。
どういうことなのかしら。身体の声に耳を傾けてみると。
「私は老廃物」という言葉が浮かびあがってきてビックリ。
さらに「廃棄物」「不用品」「不要品」「無用の長物」という言葉が次々に浮かんできました。
中でも「無用の長物」は強烈。「あっても役に立つどころかかえって邪魔になるもの」という意味ですから。
これらの感情は潜在意識です。顕在意識と違って無意識の部分。こんな意識が自分の中にいることに驚きますが、これらを抑圧し続けてきた事実にも驚かされます。一体、私たちはどこまで自己破壊を続ければ気がおさまるのでしょうか。
特に子宮と卵巣がいたんだのは、「女性性」に対して例えば「老廃物」とか「無用の長物」と捉えていたことのあらわれです。どうやら私個人の意識、さらに集合想念とつながってしまった様子です。
数日前、新しい靴をおろした時のこと。一年ほど前に買った靴です。なぜか右足の薬指があたる感覚。
「一年で太ったのかしら」
不思議に想って調べてみたら、東洋医学にみると薬指は胆のうと関係があり、その胆のうはというと、深い怒りだったり、恨みだったりの感情とリンクしている臓器とのこと。当然肝臓と深い関係にある臓器です。
どうやら、私は女性性に対する深い恨み、念のようなものを胆のうに貯めている様子。
その答えが女性性に対する「無用の長物」という概念につながっているような気がしました。
このことに気づくと不思議に薬指の痛みがなくなりました。
ということは、胆のうに蓄積していただろう強烈なネガティブ感情が昇華されたということなのかもしれません。
胆のうに関連する身体症状は薬指のいたみ以外にはまったくあらわれていませんでした。
新しい靴をおろさなかったら、薬指の痛みもそれに関する感情にも気が付かなかったはずです。大体一年の前に買った靴をおろしてこなかったことの方が不思議。それらがすべてこうやってつながるようにとの何者かの計らいがあったということなのでしょうか。いずれにしてもこれで私の肝臓と胆のうは「一時」安泰という状態に落ち着いてくれたようすです。
私たちの潜在意識には深い深い感情が息をひそめるかのように生息しています。その一つ一つを探り出し、光をあてる。この作業は少なくとも現段階の私では終わりが視えません。一般に言われる「インナー・チャイルド・ヒーリング」と呼ばれる類のワークは、今のところ、生きている限り続くような気がしています。
ということは、逆説的にみて私たちの潜在意識には文字通り「潜在的な」力を持った意識エネルギーが、数限りなく潜んでいるということですね。
その事実を認識しながら、その付き合い方の秘訣「自分流」を探っていくことが大切なのかもしれません。
それにしても女性性に対する「念」の強さはかなりのものでした、体調は悪くないのに、時々かなりの痛みを伴ってシクシクと私に訴えていましたから。例えばこの痛みを「お薬」で封じ込めてしまったら、その大元の念はいつまでたっても私の中でくすぶり続けてしまいます。痛みがあっても生活できないほどではないですから、トコトン痛みを感じきる。
私の場合はその方法が一番合っているようです。
ご自身の「女性性」に対して「無用の長物」と感じている感覚のある方は、ご自身なりの意識の寄せ方で光をあててあげてみてはいかがでしょう。かなりの数の方、女性、男性に限らず、この感情を抱いている場合が多いと感じました。
たとえ「無用の長物」と感じていたとしてもそのこと自体に良い悪いはありません。また「無用の長物」という意識も他の感情と同じくらい大切なもの、価値のあるものだということを覚えておくようにすると。今後何かの拍子で再び「無用の長物」という意識が出てきても必要以上にアタフタすることはなくなるのではないでしょうか。
何かを排除しようとするこの強い意識って、おそらく過去、過去生、という意味で、長い間私たち自身が育んでしまった意識の一つです。たどっていくのなら、その責任は私たち自身にある、ということなのかもしれませんね。
決して一方的な被害者ではなく。