濃いピンクのハイビスカス。
ガーデン・シクラメンやビオラなど冬のお花と肩を寄せるようにして、わが屋のベランダで元気に花を咲かせてくれています。黄色いハイビスカスと一緒。
ハイビスカスには『あなたを信じます・信頼』というメッセージが託されていて、インドのヒンドゥーの伝統では聖なるお花の位置づけにあるものなんだと、お伝えしたばかりです。
考えてみればすべてのお花が「聖なるお花」なんですよね、きっと。
さて、そのハイビスカスの「ビンク」にはどんな意味があるんでしょう。
ピンクは愛と女性、あるいは女性性の象徴。さらに「自己愛」「無条件の愛」という意味があります。ハイビスカスにはまた「女性らしさ」「温厚さ」「性」「創造」の意味があります。
ピンクのハイビスカス、の意味を重ね合わせてみると、まさに女性性らしい「優しい」けれど「強い」何かが伝わって来ませんか。
これに「数」の意味を合わせます。ハイビスカスの花の数現在「2」個。「2」の意味はというと「女性らしさ」「夢」「協調」。
さらにお花の咲いている方角の意味を重ねます。ハイビスカスが咲いているのは「東」。「東」の意味はというと「展望」「夢」「探求と旅」「想像」「芸術」「女性」「高い志」。
この解釈がすべて、ではありませんが、きちんと一本の柱があることがわかります。
どうやら私の女性性は成熟して、きちんとその機能、作用を十分に発揮できるようになっているようです。そしてこのメッセージは私限定のものではなく、たまたま私がキャッチさせてもらっただけ。私には「伝達」「コミュニケーション」というお役目があるため、その内容をこうして当エッセイでお伝えしている。
そういう、何かの大きな仕組みが視えてくるように感じられるのは私だけでしょうか。
私はガーデニングが大好きで、結婚して以来ずぅっと続いている唯一の趣味とも言えるくらい。どちらかというと飽きっぽい私がこんなにも一つのことを続けていられることの背景には、きちんと意味があるような気がしてきました。
ハイビスカスを植え始めたのはここ数年のこと。そのメッセージは何かしらと気にかけだしたのは今年がはじめてです。私にとってガーデニングは私の女性性を育むための大切な「ツール」だったのかもしれません。その開花、つまり成熟の時が「今」なのかも。
そんな風に想いを巡らすだけでハートが緩んで膨らむ感じ。そう、イメージングだけで「癒し」が起きるような感覚です。
大好きなハイビスカスに「信頼」の意味があるのも、また仏花的役割があることにも驚きました。
もしかしてハイビスカスの『あなたを信じます・信頼』のメッセージの「あなた」には「大いなる源」への信頼と共に、「私の中に存在しているあなた = 私自身」の意味もあるのではないでしょうか。
拡がりませんか、たった一つのお花に心を寄り添わせただけで、私たちの意識そのものが拡がる。
お花はまさに宇宙の情報をキャッチするアンテナの役割があるのかもしれませんね。
わが家のベランダには小さいながら「自然の王国」が存在しているような気がする、と先日お話しましたが、「自然の王国」「自然の楽園」はまた「宇宙の大いなる一部」としても機能してくれている、ということはないでしょうか。
まさにあそこに「ミクロコスモス」が集約されているとしたら、今までひかれなかった「コスモス」のお花をなぜか今年は寄せ植えにさせられた、その真意が視えてくるような気もするのです。
そうそう先日、愛犬・華実とのお散歩の時に「オナガ」が私の右横、私の目線のところにとまっていて、華実と私の姿を横切るように飛んで行ったことがあるのですが、その時のエッセイではこんなことをお伝えしています。
「オナガドリ」は、カササギの一種で、強くて静かな知恵の象徴だと言われているんだそうです。また、言葉を通じて創造を行う人にとっては「ミューズ」であり、その声はコミュニケーションと創造の象徴としても捉えられているとのこと。
今調べてみたら、動物が自分の前を横切った時は、その動物のパワーを授かる予兆か、そのパワーが自分の中に芽生えたことの暗示の意味があるらしいのです。
オナガの数は「2」羽でした。「2」の意味はというと「女性らしさ」「夢」「協調」。
いよいよ、いよいよ、地球や自然と歩調を合わせて、私なりのお役目を果たせる時がきたのかもしれませんね。
感涙。
ハートに響く方、ご一緒に前進を楽しんでいきませんか、変化を恐れずに。ハートに響かない場合は、他の道筋を探るチャンスが隠れているよ、というメッセージです。
そう、私たちのメッセージはどんな人にも役だっています。その役立ち方にバリエーションがあるだけで、まったく役に立たない情報、メッセージなんてないんです、きっと。
すべてが貴重な大切な、命。
※ 追記
当エッセイをアップしたら、マンションのお庭でオナガがずぅっとしゃべってくれていました。