「ジェラシー」「嫉妬心」という言葉が何回も浮かんでくるので、ヒーリングのエネルギーを送ってみました。
嫉妬心は羨望の裏返しの感情でもあるのですが、その根本は「無価値感」です。自分には価値がない、という意識。さらにそれに「虚栄心」なども関わっています。同時に「強いコンプレックス」を伴います。
かなり複合的な意識が入り混じっているので、「嫉妬心」のエネルギーはものすごく強いものになります。
誰かからエネルギーのアタックを受けている、と感じる場合、そのエネルギーは「嫉妬心」であることが多いもの。同時に自分の中の「嫉妬心」が強ければ強いほど、他者からの「嫉妬心」も引き寄せてしまうことにつながります。「虚栄心」もまた「嫉妬心」を強く引き寄せます。
相手のエネルギーをブロックすることも大切ですが、自分自身の「虚栄心」「嫉妬心」を受け容れ、そのエネルギーを何らかの方法で解放することも必要です。
「私には嫉妬心なんてありません」と感じている場合でも確実に「嫉妬心」はご自身の中で眠っています。そう感じていること自体「虚栄心」のあらわれかもしれませんものね。
私自身、それほど「嫉妬心」が強いとは感じていませんでしたが、ヒーリングのためにかなりの時間を要しました。おそらく集合意識につながってしまったのでしょう。これだけの「嫉妬心」が渦巻いているということは、ちょっとしたことで自分も巻き込まれてしまう。決して他人事ではない、ということを強く感じました。
聖人君子なんて実はあり得ないし、また100%善人というのも、理想ではあっても現実にはあり得ません。それが私たちが肉体を持つ意味なのではないでしょうか。
まずはそのことを受け止め、自分の「嫉妬心」の大元のコンプレックスが何なのか探ってみるのも一つの方法かもしれません。
ちなみに「羨む・うらやむ」という言葉には、「うら=心」を「やむ=病む」という意味もあるそうです。自分が他人ほど恵まれていないことを不満に思う「欠乏感」。つまりは「無価値感」につながっている、という捉え方ができるのかもしれませんね。
「羨望」というと「憧れ」という感じで欠乏感の影はうかがえません。
が、実は自分にはその人ほど価値がないんだな、という潜在意識を含んでいる、ということのようです。
人と比べない。そうは言っても人と比べてしまうのが私たちの常です。だからこそ、「羨望」も「嫉妬心」もちょうど良い塩梅でいてくれるように、自分自身とのおつきあいを深めていくことが必要な気がします。
「私はあなたに憧れています」という人は瞬時にアンチにも反転しやすいもの。
私たちの意識も「生き物」です。大切に愛おしんで、上手に育んでいけるような心の癖がつけられるといいのかな、と、もちろん私自身も含めて。
「嫉妬心」のエネルギーは思った以上にこの地球に存在していることを感じました。「いけない、いけない」と思いすぎるのではなく、「誰にでもあるもの。今の私はどうかしら」という視点が大切であると改めて気づくことができました。
また強い「嫉妬心」をある対象に向けると、その時はスッキリするようでも、その想いは巡り巡って自分に返ってきます。そうなる前に、なぜそこまで「コンプレックス」を膨らませてしまったのか、じっくりじっくり向き合いたい相手です。
「嫉妬心」は厄介だ、ということを以前耳にしたことがあるのですが、厄介者として「負」のジャッジをすることは控えたいもの。今まで私たちと共に生き続けてきた感情です。労りの気持ちをもって、適切な距離感を保てるように、敬意をもってお付き合いできる方法を模索していきましょう、お互いに。
「嫉妬心」の真ん中にあるのは「淋しいよ」という感情です。そのことを覚えておけば、たとえ誰かに「嫉妬」の感情を向けられたとしても「淋しいんだね、大丈夫だよ」という気持ちを向けられることもあるかもしれません。
淋しがり屋のその人は、私たち自身の姿なのかもしれませんから。
※ 追記
当エッセイ、「淋しがり屋」さんがたくさん混入してきているようです。孤独感、かな。
私たちは一人では生きていけない、存在しえない生き物なのに、なぜか「一人ぼっち」と感じるところに人間の意識の奥深さがあるように感じます。