私たちはさまざまな存在に支えられて生きています。
日々暮らしていると、ついつい忘れがちな事実だったりしませんか。
先日のこと、私は動物君ネットワークに助けてもらいました。
主人とご近所にある公園に行った時のこと。この公園は睡蓮の花が咲く池があるので私の大のお気に入りです。ただ季節的にもう無理だろうな、と思いながら公園にたどり着くとやはり睡蓮のお花の季節は終わっていました。
が古代米の収穫がなされたようで刈り取られた稲穂が干してありました。
「収穫のメッセージ ?」
またまた気分は妄想モードまっしぐら。
その公園のベンチでアイスクリームを食べ、公園のお花を楽しみながら家に戻ってきたら、持っていたはずの携帯電話が見つかりません。
「車の中だね」
主人とそう話し、主人が電話をかけると、なんと人が出るではありませんか。
公園の管理室にいらっしゃる人だとのこと。どなたかが見つけて届けてくれたらしいのです。
「よかった。世の中、悪い人ばかりじゃないね。それにあの広い公園でよく見つけてくれたよね」
ご近所の公園といっても車でないと行かれない距離なのでまたも主人と公園に向かいました。
「すみません、ありがとうございました。どなたが見つけてくださったんでしょうか」
「大きなワンちゃんを連れた二人連れの方です。う~ん、もうお姿は見えないようですね。お電話をもっていらして、どうしましょう、忘れ物みたいですよ、と言った矢先にお電話が鳴ったんです。ビックリしました」
「ありがとうございます。本当に助かりました。お手数をおかけしてすみませんでした」
携帯電話を受け取りホッとして画面を見ると電池切れ。
「この状態で電話が使えたなんて奇跡だね」
そういった瞬間、ピンと来ました。
見つけた下さった方。
そして電話のなったタイミング。
しかも電池切れでの通話。
誰かのサポートが入っている。
そっか、動物君ネットワークだ。
そう、動物君はみんなエネルギー・ベルトでつながっているんだとか。一匹のワンちゃんが何かを感じると遠くのワンちゃんも同じことを感じているそうです。
もしかしたら、愛犬・華実、愛猫・海・うみのどちらかが私が携帯電話を忘れたことに気づいてくれて、すぐにメッセージを送ってくれた。それをキャッチした犬君が飼い主さんに知らせてくれて、「大変だ、忘れ物だよ」と。
その後も動物君同士の目に視えない交流に支えられて、携帯電話が無事私の手元に戻ってきてくれたんじゃないでしょうか。
もしかしたらその元締めは天国在住・愛猫・海・かい ?
もしかしてもしかして、私はペット君のごはんや健康情報を発信していて、また飼い主さんの心のケアなどもさせてもらっていることから、動物君たちの恩返しをいただいちゃったんじゃないでしょうか。
もちろん私の行為は見返りを求めてのものではありません。
ただただペット君に幸せになってほしい、ママさんに幸せになってほしい。それだけ、です。
人間に対してだとあるいは「感謝」という見返りを求める気持ちが出る時もあるのかもしれません。
けれど動物君に対してはまったくその感情はありません。多分動物君自身が無償の愛の存在だから、それに自然に共鳴・共振してしまっているからなのかも。
そう考えると、まちがいなく私の活動は動物君との共同・協同作業で、動物君とはパートナーなんですね。動物君の集合意識と。
その集合意識が仲間の危機を救ってくれたんじゃないでしょうか、「彼女は僕たちのパートナーだからね」って。
こう書いているだけで涙が出てきてしまうのは、きっと「Yes !」のサインなんでしょう。
動物君と共に生きる。
特別なことではないんですね。ただただ彼らの愛に混じらせてもらうだけで十分なのかもしれません。
肩に力を入れないでふぅっと息を吐いて。
そう考えると古代米の収穫のメッセージの真意がわかったような気がします。
僕たち動物はいつでもあなたたちの味方だよ。
いつでも見守っているよ。
いつでもそばにいるよ。
のメッセージを想い出して、という意味ではないでしょうか。
すべての人に対する。
私の地道な活動も、きちんと実りの秋を迎えていたようです。動物君たちの愛に支えられて。