宗教家、スピリチュアル・リーダー、修行僧などなど、精神世界に携わっていた人々の集合意識にヒーリングのエネルギーを送ってみました。同時に「修行、苦行」という概念についても。
最初に浮かんできたのは、「言いたいことを我慢している」という強い抑圧意識。
次に出てきたのは「息ができない。生きた心地がしない」という抑圧意識。
「ハートが壊れてる」という嘆きの意識も浮かんできました。
さらに強い強い「スピリチュアル・エゴ」の数々。彼らは、というべきかこの意識は波動の低い存在、また波動を上げようと努力しない存在に対してジャッジの意識を強く感じています。
けれどその裏面の意識も浮かんできました。
それは覚醒や解脱、目醒め、悟りなどに対する強い「不安感」です。
「覚醒できなかったらどうしよう。解脱できなかったらどうしよう。自分だけ悟れなかったらどうしよう。自分だけ取り残されたらどうしよう」などなど。その意識を他者に投影し、「スピリチュアル・エゴ」としてのジャッジが生まれている様子です。
肉体としては。
下半身にまったくエネルギーが入りません。
おそらく彼らの意識は上半身だけ。つまり私の感覚だと「地に足がついていません」。瞑想、座禅などの「行」の影響でしょうか。
これはたまたま私が感じた意識であって、宗教家、スピリチュアル・リーダー、修行僧たちの「本当」の意識なのか、何ものかが意図を加えての意識なのかはわかりません。
全体の印象としては「淋しそう」な意識たちです。ものすごく「心細そう」な意識です。
もしかしたらこれは「私自身」の意識かもしれません。
いずれにしても自分の無力、非力を強く感じていて、怖くて淋しくて哀しくて肩を震わせて泣いている、まるで小さな子供のようなエネルギーでした。
「苦行」「修行」によって必要以上に自分を大きく見せようとしているかのよう。ありのままの自分を受け容れられなくて。
本当は心の奥底に「見捨てないで。ここに還ってきて思い切り抱きしめて」という、強い見捨て感を感じているのにそれを受け容れられない。
書いているだけで淋しくなってきてしまいました。
集合意識だとしても私自身の内なる声だとしても「これ」に向き合うことができて良かった。
彼らの意識、この該当意識はモンスターなんかじゃない。ここまで大きくなってしまって一番驚いているのはこの意識自身なのかもしれません。
ちなみにこのヒーリングは私の従来のスタイルで行いました。
体感、つまり身体に該当意識のエネルギーを感じることができるのでやはりこのスタイルは今の私には「有効」なようです。
ただし気持ちは変わっています。トコトン感じつくそうという制限がなくなりました。
その意識の存在を認識し、体感する、たとえ「一部」であっても。それで十分と感じられるのです。
「修行」や「苦行」は完ぺき主義、理想主義を伴うものだったのかもしれませんね。
ということは完ぺき主義、理想主義の解放が行われたということなのではないでしょうか。
ありがとう、今までお世話になりました。
これからは「ほどほど」チックが私の「主」になってくれそう。
もしも私と同じように宗教家でもないのに、修行僧でもないのに「ストイック」なまでに何かを一生懸命探究し続けてきた方がいらっしゃるようなら。
「緩めても平気だよ~」の旗が降られているみたいですよ。
仮面を外してマイペースでね、って。自分自身を生きてね、っていうエールと共に。
優しい風が吹いていますね。「一人ぼっちじゃないよ」。