2か月半ぶりにヨーガ・レッスンに復帰しました。
ヨガ歴14年。
ヨーガ歴、としていないのは、その大半が「ヨーガ」ではなく「ヨガ」レッスンだったためです。さらに言うとヨガ・レッスンの先輩の話では私の習っていたのは「なぁんちゃってヨガ」だったようで、何も知らずに「ヨガ」だと信じていた自分が少しだけ情けなくなったりもしました。そのレッスンはすでに卒業し、その後、ヨーガとパワー・ヨガを始めました。
レッスンをしばらくお休みしていたのは、ヨーガには「思想的」なものも含まれるため、ちょっと距離を置こうとかな、という気持ちになったため。
久々にレッスン参加への気持ちが芽生えました。きょうレッスンに出て、それでシックリこないようだったら、完全に「ヨーガ」を卒業しようと思いながら。
結果。
気持ちよかったので継続することに決めました。
私のヨーガの先生は「アーサナ = ポーズ」主体の考え方の先生ではありません。「綺麗なポーズ、正しいポーズというものはないんです」との考え方。逆にいうと、すべてが綺麗ですべてが正しい、という考え方になるんじゃないでしょうか。
無理をしない。人と比べない。
その柱がもし古来の「ヨーガ」の考え方だとしたら、今はやりの「アーサナ」主体のヨガは完全に「別物」と考えられるかもしれません。が、結局何が自分にとって心地よいかなので、ヨーガであろうとヨガであろうと、もちろん等価です。どちらもフラット。
アーサナ主体のヨガの先生からしてみれば自分のスタイルこそが本流だと感じているかもしれませんしね。
そう、どちらでもいいのです。
私は身体がかたいという劣等感から「アーサナ」主体のヨガでは「落ちこぼれ組」だと感じることもあるほど。自分の価値観の問題です、身体がやわらかくないとうまくできない、という感情を抱いてしまうのは。
ただ、それを13年も感じてしまっているのには大きな意味があるのではないかとも感じています。
それが何かは今のところわかりません。
ですから、きょうの「ヨーガ」の先生のように「綺麗なポーズ、正しいポーズというものはありません」と言われると心底ホッとしてしまいます。「あ、これでいいんだ」と自己肯定が進むから。
さて、ヨーガ、ヨガ、どちらでもいいのですが、そのメリットをテレビ番組で特集していたとのことで、先生が私たちにも教えてくれました。
〇 リラックス効果から睡眠障害改善の結果が報告されている
〇 海馬を刺激するため、脳の記憶力アップの効果が報告されている
〇 不安が少なくなり精神の安定効果が報告されている
とのことでした。一番のポイントは「呼吸法」と「瞑想効果」。呼吸を意識しながら身体を動かすため、リラックス効果がかなり高いとのお話です。ただし、元々ヨガは「瞑想」主体で生まれたもので「アーサナ」は身体が固まらないように、とのことで考えられたとの説をどこかで目にしましたので、現代の「ヨガ」と言われるものにどこまで「瞑想」が組み込まれているかはわかりません。あるいはその状態そのものを「瞑想状態」ととらえているのかもしれません。
いずれにしても上記をみると、素晴らしい効果が期待できることがわかります。
さて、ここからは私個人の考え方です。
専門家は必ず「メリット」を強調します。これをするとこういう効果が期待できると。ただし現実にはやはり「個人差」があるのですべての人に同じ効果が出るとは限りません。また、まれに、ですがやはりデメリットもあるのです。例えば「ヨガ」の場合、アメリカなどではアーサナの完成度を追及するあまり、腰を痛めたり、身体全体を痛めたり、という報告も実際になされているようです。
もちろんそれはレアなケースですし、指導者の考え方にも関係しているのかもしれません。
ただ、リスク、デメリットは「ゼロ」ではないということ。
どんなものにでも「メリット」「デメリット」の両方があることを理解し、参加者側、利用者側がそれを自分で判断していけばいいのかもしれませんね。
それと、おそらくヨガでなくても、呼吸法をメインにしたエクササイズであれば、ある程度はヨガと同じような効果が見込めるはずです。専門家はその比較対象の内容をほとんど知りませんから、ある意味限定された視野になる場合もでてきます。悪いという意味ではなく、現実として。
専門家でもない私がなぜこんなことを言うのか。
専門家でないから視えるものがあるんです。
私はヨーガの他にも太極拳、ストレッチ、ピラティスのレッスンを受けています。すべて呼吸法を取り入れたものなので、レッスンを受けた後のリラックス感はそれなりに感じられます。もちろん個々に特徴が異なります。その特徴が自分にとって心地よいかそうでないかで取り組み方を調整する楽しみもあったりします。
極端な話「ラジオ体操」だって呼吸を意識しながら行えば、ヨガと似たような効果がみこめるのでは、と私はそう感じています。
何をするか、誰に教わるか、という固有名詞より、それによって自分の「気持ちよさ」がどれだけ実感できたかが大切なのだろうな、と。
ヨガを例にしてお話しましたが、自分の身体に合ったケア方法が見つかれば、たいていの場合、好ましい効果につながるはずです。「気持ちいい」と感じることで血管が緩み、それによって免疫力もアップすると考えられるからです。免疫力がアップすれば気持ちが安定し、睡眠障害などの緩和も期待できると考えるのが自然です。
もしかしたら大空のもとでの農作業などでも同じ効果が感じられるかもしれません。
何だっていいんです、自分が気持ちいいと感じるものが一番です。
おそらく、なんですけど私はこの2か月半の間に「ヨーガ」「ヨガ」との適切な距離感を感じさせてもらっていたのではないでしょうか。
傾注、信奉ではなく「ほどほど」が私には合っているんだな、ときょうのレッスンで確信しました。
先生には今まではレッスン後いつも自分の変容をリアルタイムでご報告していましたが、きょうはやめました。
なんとなくそれって子供が親に「ねえねえ、きょうは学校でこんなことがあったよ。こんなに楽しいことがあったよ」と報告する心境と似ているような気がしたからです。
先生と私は、お役目がわかれているけれど、価値はフラット。どちらが上でもどちらが下でもないと思ったから。報告することで意思の疎通がはかれるかもしれないけれど、報告しなくても必要なら「あちらの世界」のなにものかが先生に何かをアプローチしてくれるはずだから。
これってもしかして、「先生への依存」、軽減のあらわれかもしれません。
やっと対等な人間関係の扉が開いたのかしら。愛着障害、こうやってきちんと愛との関係、適正に近づいて行ってくれているのかもしれません。そのことに気づかせてくれるための、きょうのレッスンだったんでしょうか。涙ものですね、もしそうだとしたら。
さらに。
同時にお休みしていたパワー・ヨガ・レッスン。そろそろ復帰します。こちらは「アーサナ」主体のもの。でもなんとなく、今までみたいに「できる」「できない」、そんなには気にならなくなるような予感がしています。
気にしていたのは自分ですものね。自分の意識が変われば感じ方も価値観も変わると思うから。
お休みをする、って調整のための必要な時間、適正期間だったんだな、って、やっぱり私たちは守られて生きているんだな、とそんな気分です、今。
う~ん、気持ちいい。
エクササイズの効果って、実は「ととのう感」じゃないのかな、というのが私の個人的感覚です。
つまり、「ヒーリング」。