「Loneliness」。
一人ぼっちで淋しいよ~、という感覚。誰かに孤独をうめてほしいと感じる。
きょう、私は二度の熱発と共に、咳と共に「なんでこんなことになったんだろう」と孤独感に打ちひしがれていました。
きのうのこと、主人とふとしたことからケンカになり、あまりにも頭にきたので「いい加減にしてよ」とモノを投げてやりました。普段は私はそこまで怒りをあらわにしないのですが、主人のしつこさに嫌気がさしたのです。
その怒りは今朝も残っていて、同時に大声を出したのでご近所の人に聞かれたかもしれない、とその恥ずかしさでかなり気持ちは落ち込み状態。
主人はあやまってはいるものの、正直「やってらんない」感が抜けませんでした。
私は元々怒りを理性でコントロールする傾向が強く、怒っても怒り切れない。あるいは怒ったその事実をすぐに猛反省するタイプです。
最近、やっと「怒ることはいけないことではない」と思えるようになって、怒りが生じた時はできるだけその怒りを感じつくすようになりました。
感情に優劣はなく、怒りを感じることも喜びを感じるのと同じように大切な体験だと気づいたからです。
ところが私の怒りの根は深いんでしょうね、まだまだ発散できていない、昇華できていない。それできょうはものすごい咳が出始めました。風邪などによる咳ではなく、「怒りの昇華」としての咳なんです。
「これだけ咳が出ているからすぐに怒りはおさまるわね」と思っていたら、突然起きていられない感覚に。熱。怒りが今度は熱として昇華され始めたのです。
こんな経験は滅多にない、とベッドで少し横になっていたら、また次なる熱の山がやってきます。私は低体温傾向なのでちょっとの熱でも堪えます。でも熱が出れば、必ずその後心身が整っていることがわかっているので、解熱剤などは飲みません。
熱で少しだけ朦朧としていると、「なんでこんなことになったんだろう」とすごい勢いで孤独感が襲ってきます。そのタイミングで主人から電話。きょうは仕事で飲むから帰りは深夜だと。
「ああ、私は一人ぼっちだ。こんな時だって一人ぼっちなんだ」と哀しくて哀しくて仕方なくなります。
その時、私のベッドに愛犬・華実と愛猫・海・うみがのっかってくれていることに気づきます。ベタッと寄り添うわけではなく、ベッドカバーの上にチョコンと。
「華実君と海・うみちゃんだけは私の味方なのね」と、心は子供状態。「やってられないな、もう離婚しようかな」
そう思いながら熱のためうつらうつら。
すると、何かの声が私の中から聴こえてきます。天国に還った母と、同じく天国に還った友達の声です。
「大丈夫、いつでもそばにいるから、あなたのやりたいことをずっと応援しているから」
まるで輪唱のように響きます。
次の瞬間、「あ、私は一人じゃないんだ。いつも魂が一緒なんだ。いつも魂が一緒だから私のすることはすべて成功で失敗なんかないんだ。私のすることはすべて必然だから間違いなんかないんだ」と意識がいきなり反転しました。
そして「すべては大いなる一つの秩序の中の一つ」なんだ、と。とてつもない安心感に包まれます。
きのう私が怒りに任せて大声を出したことも、きょうそのことを恥ずかしいと思っていることも、「やってらんない」と感じていることも、「ああ、私は一人ぼっちなんだ」と感じたことも、すべて成功、正解、ベストなんだ、と感じられたのです。
私たちの人生ははじめから魂と二人三脚だったのです、いつでも、どんな時でも。自分ではそう感じられなくても。スピリチュアル的な表現だと魂は「ハイヤー・セルフ」でしょうか。その違いは今はどうでもよいですね。ただ私たちは生まれる前から、そしてお母さんのお腹にいる時も、そして生まれてからも、いつもいつも魂と二人三脚で進んできた。
その道に「まちがい」なんてあるわけはなくて、すべて「正解」「成功」、ただただ純粋な絶対体験があるだけだったのです。
すべては一つ、という言葉は「all one」。そして「all one」は「alone」と = なんだそうです。
「alone」って一人ぼっちというイメージが強いじゃないですか。けれど本当のところは「自立した」「一人でいられる」「他者に依存しない」という意味の方がより適切だとする説があるんだとか。「他者に依存しないで一人でいられる自立した状態になってこそ、すべては一つと感じられる」、そんな考え方があるそうです。
「Loneliness」を感じきったからこそ起きた意識の反転です。
通常は「Loneliness」を感じて、その後「alone」に転じ、そこから「all one」につながるみたいですけど、私の場合はいきなり「all one」につながってしまったみたい。それとも「alone」の一歩なんでしょうか。
いずれにしても「alone」が定着したとは思えません。何かのきっかけでまた「Loneliness」に突入するに違いない、私の場合。
でもそれは再び「all one」につながるチャンスだと思えば「Loneliness」を感じたとしても怖くないし、不安にもなりません。
私たちには自分が感じたくない感情を本当に感じないようにしようとする働きが備わっています。けれどそれは「拒絶」です、「受容」ではありません。「拒絶」はその意識のエネルギーを「抑圧」し続けるのでいつか必ず爆発します。うまい具合に爆発してくれればいいけれど、他の人に投影して、その相手の人まで不快にさせてしまうことも出てきます。
一般に言われる「ネガティブ」な感情、「負」の感情、「悪魔意識」、すべてそれらを反転するチャンスとしてあらわれてくれているだけです。
「ネガティブ」な感情を感じるのは気持ちよくないけれど、そんなに時間のかかることではありません。何かのツールを使ってその感情をごまかしたり、ないものにしようとしたり、は一過性の効果しか生まれません。その一過性が必要な時ももちろんあるでしょう。そういう時は、自分に合ったツールで方法で「一時的緩和」を試みるのも良いと思いますが、もし自分を信じられる時は、その時に味わい尽くし、感じつくしてしまった方が、「大きな反転」が起こりやすくなります。
どちらでもその時の自分に合う方法を選べばよいのですよね。
私はどちらかというと「短期決戦」タイプ。できるだけツールに頼らず、その感情を味わいつくす方法が今の私には合っているみたい。
それにしてもきのうからのダウンアップ ? はすごかった。そう考えるときのうの主人とのケンカも「all one」につながるためのスイッチだともとれなくはありません。
仕方ない、許すとするか 笑。主人が帰ってくるまでに時間がある、というのも魂と決めたシナリオ通り。それがお互いにとっての「ベスト」だということなのですね。
執筆を進めているうちにすっかり気分がよくなってしまいました。そこそこの熱だったけど、今はスッキリ、です。
それにしてもああいう時、ただそばにいてくれる華実と海・うみの存在は素晴らしすぎます。でも本犬、本猫は「自分は素晴らしい」なんて思ったりもしないでただただあるがままでそこにいてくれる。あるがままの私を受け容れるために。彼らもまた私の魂の一部なんだろうな、と感じる瞬間です。
今、華実がまん丸のおっきな目で私を見つめてくれています。
「うん、その通りだよ」のメッセージとともに。
とここまで書いたら、海・うみがパソコンの上に乗ろうとして「そうだ二ャ~」の意思表示、です。
魂との関係。あなたもちょっと気にかけてみてはいかがでしょう。私とは異なる感覚が思いついたとしても、いえ、むしろ異なってあたりまえですが、何かのきっかけにつながるかもしれませんから。
私はきょうの時点では、私たちの人生には必ず「魂」というパートナーが寄り添ってくれている、と感じました。もしかしてそれはすごいことなんじゃないかと。
自己を否定する必要などまったくない。
私たちは自己を尊重し、肯定して、大切にすればいいんだ、ということが明確にわかったからです。