「地に足」つけよう作戦。ここ半年ぐらいの私の最大のテーマです。
どうやらその成果があらわれたようで、自分自身のふらつきが少なくなり、フワフワ感がなくなってきました。
と同時に、私にとって大切だと思えることが次から次に浮かんでくるようになりました。
ここ一か月ぐらいで信じられないほどの変化が生まれています。特にこの数日は私の中で起きる「気づき」のタイミングが早くて当エッセイ執筆が間に合わないくらいです。
さて、「地に足」つけることをエネルギー的には「グラウンディング」と言ったりします。
私の場合、愛犬・華実との約1時間のお散歩とスポーツ・クラブに行った後の芝生の上でのアウト・ドアランチの時間がその時間に相当しているようです。アウト・ドアランチの時、私は裸足になって大地に足を預けます。この習慣は確か5年以上続いているはずです。
取り立てて「地に足つけよう」とか「グラウンディング」をしようとか思ったわけではありません。私の場合、行為が先。後からその根拠があらわれるタイプです。つまり本能的に行っていることが、実は理にかなっていたり、自分自身に必要なことだったり、というケースが多いみたいです。
きのうのこと、「グラウンディング」について調べていたら、どうやら私は「センタリング」はあまりできなかったのでは、ということに気づきました。「センタリング」のやり方を調べていたら、なんと ! ヨガのポーズの中で知らないうちに「センタリング」をしていたという事実に遭遇しました。
「センタリング」とは身体の中心軸を整える、といった意味の言葉ですが、丹田を意識して、上半身の背骨をまっすぐにする、というような感覚のもの。かなりバクっとした説明ですが。
ヨガのレッスン時に片足ポーズでバランスを取る、ということを何回か行うのですが、どうやらそれはまさしく「センタリング」だったみたい。
また、生活習慣の中に瞑想を取り入れているため、丹田にはかなり意識をフォーカスしています。
つまり丹田を意識して、コマのように自分の中心軸をまっすぐに整えようとする、それが「センタリング」だったのですね。
瞑想を始めたのはなんとなく。
ヨガを始めたのは、「身体を柔らかくしたかったから」。ヨガ歴14年目ながら、これはまったくかなわず。が意外なところで大きなプレゼントをくれていたのですね、ヨガちゃん。
ヨガのレッスンの中では「センタリング」という言葉は出てきません。今の今まで知らなかった。あれが「センタリング」だったなんて。
ヨガについて、正式表記はヨーガですが、ちょっと思うところがあって、ここ3か月くらいお休みをしています。その代わりに、と言っては何ですが、体幹を整えるピラティスのレッスンを受けています。個人的にピラティス大好き。身体がかたくても根性がなくてもできるし、レッスン終了後の確かに「整った」感が半端ではないからです。
きちんと自分の中で継承されていたのですね、「センタリング」の行為が。ピラティスは胸式呼吸がメインなので丹田呼吸とは異なります。が、きちんと丹田呼吸の時間も含まれているのです。そしてまさしく「体幹」とは「身体の柱を整える」といったようなイメージです。
そっか、私はヨガと太極拳レッスンによって、「丹田」との関係が密になり、同時にきちんと中心軸も整えられていたんだ、すべて「無意識のうちに」。ということは潜在意識の力です。
すごいですね。
私たちの人生は、「無意識」と呼ばれる「潜在意識」が牛耳っている、との考え方は心理学の伝統によるもの。
私はここ二年ほど、かなりのペースで自分自身の「潜在意識」に向き合ってきました。そのお蔭で、意識のゆがみが整いつつあって、ちょうど真ん中ではないけれど、かなりそのふり幅が小さくなるくらいの「真ん中」にたどり着けました。
同時に身体もしっかり「センタリング」できていたのです。身体と心は分離していませんから、どこからどこまで、という明確な線引きなどなく、心も身体も共になんとなく「中心」に近づいていたのです。
「地に足つける」作戦=「グラウンディング」作戦、そして「センタリング作戦」。
私たちの心身魂は、まずベースが大事、基礎が大事。そこを飛び越して高次の世界につながっていると、ものすごいフワフワ感に入ってしまいます。気持ちいいんです、フワフワだから。私も一時フワフワ感優位に入っていたのでその感覚、よく理解できます。
でも、私の場合は、ですけど、基礎に戻って、基礎固めをし直すことができて本当に良かった、と感じています。
人生の課題はそれぞれですから、何が良くて、何が悪いということはありません。自分の本質はどこを向いているのか、その違いで選択するところも変わってきてあたりまえです。
私の人生には「グラウンディング」「センタリング」、必須だったのですね。
こう視るとわかりますね。私たちの「潜在意識」は魂そのもの。私たちの人生をしかるべきところに導いてくれるナビゲーターだということに。
もっともっと「地に足」つけて、魂との二人三脚を思う存分楽しみたい。
高次の存在がその居場所として私たちの認識する「高い位置」にいるとは限らない。今の私にはそんな気がするんです。