ザクロは豊かさの象徴であり、仏教的には吉祥果と呼ばれる、かなりの「縁起物」とのお話。
前エッセイでさせてもらいましたね。
さすが、ザクロちゃん、次なるラブ・レターをくれました。
それは。
「お金はすべて地球 =マザー・アースからのプレゼントだ」
というお話です。
私たちは潜在意識ではみんなお金が大好きです。
ところが顕在意識では「お金が人を苦しめる」「お金は汚いもの」「お金が人を狂わせる」などの意識を感じる場合が少なくありません。
これは世界宗教と呼ばれる宗教特有の、ある教義がベースになっているからではないでしょうか。
「清貧」思想です。
さらに「お金は低俗で、精神は高尚」という教え。
この教えは信徒、信者に限らず、誰の中にも根付いている社会通念です。
立場の違いはあるにしろ、私たちの誰もが「お金に執着することは醜い、卑しいことだ」という意識をもっているのです。おそらくこれは先祖代々脈々と受け継がれた意識と言ってもいいのではないでしょうか。
確かにお金への過度の執着は困りもの。
だからと言って「お金が低俗であったり、卑しい」わけではありませんし、程よいお金と共にある生活が人として醜いわけでもありません。
「金」の語源を調べてみました。
「土中にかねてからあるもの」、それが「お金」だそうです。
コインは地球の成分でできたもの。
そして紙幣。紙幣は木からできているもの。
すべて地球の元素、見方をかえるとその「養分」「成分」が形を変えたもの。
それが「汚い」わけも「卑しい」わけもありませんね。
母なる地球 = マザー・アースはこんなことを言いたいのではないでしょうか。
「私は私の愛しい子供たちすべてに豊かさを共有してほしくて、またそれを上手に循環させてその豊かさがますます拡がっていくように、それが未来永劫続いていくように、と我が身をさいてあなたたちにお金を提供したのよ」
お金はマザー・アースが形を変えて私たちを見守るためにわざわざやってきてくれている愛の象徴なのだと私は感じました。
それを「良い」とか「悪い」とかジャッジしたり、「自分さえ良ければ」と独占しようとしたり、逆に「お金より大切なものがある」と「お金」の価値を否定したり、お金に対してさまざまなネガティブを投影しまくっているのは私たち人間なのです、まちがいなく。
そもそもの「地球」の気持ちなんてまったく考えずに。
お金について、いろいろな人がいろいろな形で「お金のブロックを外しましょう」と説明してくれていますが、私には、「お金はマザー・アースがみんなで豊かに暮らせるように、より豊かな星になるように、と私たち人間に捧げてくれているマザー・アースの魂そのもののエネルギー」だという捉え方が一番しっくりきました。「みぃんな一つになるのよ、このお金で」
マザー・アースは私たちの「母」として慈愛と共にお金をすべての人の上に平等に、公平に送り届けてくれているのではないでしょうか。
それを人の分まで独り占めしようとしたり、逆に「いらない」と拒否する子供がいるとは思ってもいなかったのではないでしょうか。なぜならお金にはみんなを一つにつなげる、大切な役割があるのだから。分離、分断ではなく、統合、融合。
「お金のことを口にするのはあさましい、卑しい」という想いは日本人には少なくない考え方の一つです。
お金はお米と同じ、作物と同じ。だとしたら。
大切に大切に育てようとするし、またその収穫は心から喜びませんか。収穫が終わったらまた働いて次の収穫まで大切に向き合い、お互い慈しみ合う。
私たちがお金に対して持ち続けたネガティブ。もちろんネガティブはいけないものではないけれど、私はすべて一旦自分の中に統合し、そしてポジティブと同列、等価になるように、と自己流ですけど、「お金に対するヒーリング」を行いました。
これで真の豊かさを循環するパイプとしての機能がよりクッキリとするのではないかと。
ザクロちゃんは「真の豊かさとの適切な距離感」「お金との適切な関係」というメッセージを私に伝えてくれたようです。
私たちは人生において、たくさんの種まきをしています。種が発芽して、成長し、そして実がなったら、その実を「豊かさの象徴」としてありがたく収穫しなさい、と最初からそういうGiftをいただいているのです。もしその実が自分には多すぎるように感じるのなら誰かに分けて。分けてもらった人は自分の実もおすそわけできるようなら、分けて。ただし、無理はしないで。できる範囲で。
宗教やスピリチュアルの考え方では、お金より精神が上、と考えます。「物質」より「精神性」。
私はその考え方がいかに私自身を苦しめ続けてきたかを、今、明確に理解しました。もちろん宗教やスピリチュアルの考え方すべてが私を苦しめている、という意味ではありません。ある側面においては、という意味です。
私にとっては、本来、物質も精神も同等、等価です。もちろん心も身体も魂も。
やっとそう感じられた。これが地に足ついた感覚なのではないかと、個人的にですけど今の私はそう感じています。
マザー・アースとの距離が近くなると、たくさんのGiftを感じられるようになる、とのことを教えてもらいました。私たちの周りは「Gift」にあふれていて、「Gift」でないものなんてないのでしょう、きっと。何より私たち自身、一人一人も「Gift」なのです、この世界に二つとして同じものはない唯一無二の「Gift」。
まだそれらがすべて腑に落ちるほどの確信は得られていませんが、少しだけ地球に近づくことができた。その感覚だけで十分幸せです。
私たちは自分の心にあるものしか感じられません。
もし「お金は卑しい」と感じるようなら、それは自分自身を卑下しているから。私はこのことに気づき、愕然としました。どんなに「自己肯定」を積み重ねてきてもまだ私の中には「自己卑下」「自己否定」の意識がたくさん潜んでいるんだ、ということに改めて気づいたからです。
が、こんなことも感じられました。
「私たちは誰一人自己卑下の感情がまったくない、なんてことはあり得ないのだろう」とも。
いくら顕在意識は「そんなことないわよ」と言っていたとしても。
潜在意識の言い分にも耳を傾ける。
こんな、私自身の新しい生き方は、今まで見落としてきた「真実」だろうことをたくさん私に教えてくれるようになりました。
ザクロは私にとっての真の豊かさとはなんとなのか、真のお金の価値はどういうものなのかを私に気づかせてくれたのです。
たとえすべての人に通用する考え方ではないとしても、自分にとっての本質が視えつつあるだけでものすごく嬉しい。
自然に感謝。
この地球に感謝。
「地に足つける」生き方。ハートに響く方にはおすすめです。
我が家のベランダにはおおぶりのピンクのハイビスカスがひとつ花を咲かせてくれています。雨降りで、すっかり涼しくなってしまったのに。
私たちの人生はいつでも「旬」だというメッセージですよね。たとえ周りからはそうは視えなくても。
「収穫の喜びを味わいなさい、いつでもあなたが望む、その時に」