「ひとりぼっちで淋しいよ~」
ゲップの嵐と共に、淋しがりやの私が大暴れしています。
これは私の子供の頃の記憶。同時に全人類共通の「集合意識」「集合想念」ではないでしょうか。
私たち人間には「所属欲」というものがあって誰でも、どこかに所属することで安心感を抱くようになっているそうです。
「ひとりぼっち」、そもそもの語源は「一人法師/独法師(ひとりぼうし)」。特定の宗派・教団に属さない、あるいは離脱して仲間がいない僧侶の境遇のことを言うんだとか。そこから転じて頼る仲間がいない、こころもとない感じをあらわす言葉になっているようです。
ぼっちめしとかぼっちカラオケとかアローン族とか世の中「ひとり流行り」ですが、実は「所属欲」のある私たちは、絶対心のどこかで「一人ぼっちで淋しいよ~」と泣いている時があるわけですね。
ところがそれを「恥ずかしい」と思う気持ちもあって、「自分は孤独感なんて感じない」と自分で自分の心をコントロールしてしまうケースも少なくありません。するといつか爆発する。人のことを攻撃したりするようになります。「あの人たちいつもつるんでいて一人では何もできないのかしら」と。こう思うだけならいいんですが、そのことを口にしだしたり、相手に対して攻撃意欲満々で向き合ったり。
それはみんなその人自身の「一人ぼっちは淋しいよ~」と感じる心のエネルギーから始まっています。人に投げかけた言葉は自分自身への疑問に対する投げかけが形となってあらわれただけ。
私たち人間には「所属欲」があるのですから一人になれば不安を感じて「一人ぼっちで淋しいよ~」と思うのは当たり前のこと。そう感じない人は、「ほぼ」いません。特定の脳の仕組みを持たない限り。それはこの地球が出来上がって人類が登場して以来、誰でもが一度は感じる感情なんじゃないかと私はそう思います。
いえいえ、一回なんてことはないですよね、何回も、何十回も、何百回も感じる意識ではないでしょうか。
その意識を「出できちゃダメ」とモグラたたきをするからいつまでたってもモグラは出てきたがる。ますます力をつけてドンドン獰猛になって。
「いえ、私は本当に一人が好きなんです」と口にしている人にでさえ、そういう意識は絶対にあります。
私たちには一見「体裁が悪い」と感じられる感情を自分の中には存在しないものとしたがる心の傾向が備わっています。
「男の子なんだから、一人でなんでもできるようになりなさい」とか「おねえちゃんなんだから、一人でも大丈夫よね」とか、そんな言葉を両親から言われ続けた人は特に。またある程度の年齢の方もそうではないでしょうか。この国には「我慢は美徳」みたいな教えがあって、その我慢の中には「所属欲」も含まれていたり。知らないうちに。そう無意識のうちに「所属欲」を否定し続けてきた人たちが、この世の中にはたくさんいるのかもしれません。
私もどちらかというと「ぼっち」は苦手ではないと思う方でした。ランチなんてかなりの確率で「ぼっち」ですもの。
でも全然違うみたい。
「一人ぼっちで淋しいよ~」と泣き叫ぶ自分の心に「一人ぼっちは淋しいね。ごめんね、今までずうっと気づいてあげられなくて。私も一人ぼっちで淋しいよ」と話しかけたら、お互い「グッ」ときて、その結果、お互い安心しきっちゃったみたい、という感覚を思う存分味わうことができました。
光と影の法則。
陰陽の法則。
私たちの意識には、必ず「正」と「負」が存在します。
あまり認めたくない意識が「負」。けれど「正」と「負」は「等価」です。「優劣」もありません。また、ある時突然「負」が「正」になり、「正」が「負」になることもあります。人によっては、他の人にとっての「負」こそ自分にとっての「正」になることだってあるはずです。さらにすべてが「正」と「負」にわかれるわけではありません。グレーゾーンやマーブル模様のところもあるんです、実際には。
「一人ぼっちで淋しいよ~」はおそらく未来永劫なくならない感情ではないでしょうか。私たちのすべてが「ワンネス = ひとつの大きな〇」を心の底から自分のものとして捉えられるようにならない限り。
であれば、感じてしまった方が断然楽。自分自身にとってもお相手にとっても地球にとっても。
中途半端な「聖人」「賢人」にならなくていいんです、私たちは。人の物まねはいらない。少なくとも生きる上では。人生においては。
私たちは私たちのままでいい。
「私は淋しさを超越しました」なんて無理やり思おうとしなくて大丈夫なんです。
「ひとりぼっちで淋しいよ~」は人間としてあたりまえの感情です。いつまでもなくならない感情です。
時々感じてガス抜きをしてあげましょう。ものすご~~くスッキリすることまちがいナシ。
私たちの周りには身体のデトックス情報があふれていますが、心のデトックスもお忘れなく。
どちらが、ということではなく、どちらも大切なことですから。
ちなみに真の自立を手に入れるためには「ひとりぼっちで淋しいよ~」の意識を統合することが必要です。
すべて「表裏一体」。
どちらか、ではなくどちらも、が大切なんです、何ごとにおいても。