「私の人生、ますます悪くなる」
いゃあ、そうですか、という感じです。
現在「地に足つける」作戦、着々と進んでいるわけですが、きょうの「悪魔意識」は上記の感覚です。「悪魔意識」とは自分の中に潜んでいる、自分が絶対に認めたくない、希望を奪っていく意識のこと。
その後も出てきました。
〇 正直ものがバカをみる
これらの感覚が浮かびあがると同時に左ひざに激痛が走りました。
拘束。
停滞・低迷。
後退。
のキーワードと共に。
つまりこれは「前進したい、できる」「私の人生、ますます良くなる、日に日に良くなる」「Lucky !」「ついてる」の反対の意識。
反対だけれど一つのエネルギー。
光側にあらわれるか、闇側にあらわれるかの違いです。
これ、明らかに集合意識、集合想念ではないでしょうか。たくさんの方が同時に抑圧し続けている、一見「ネガティブ」なエネルギー。
感じきって、味わいつくすことによって光に転じるリソースです。
私は自分の意識でもあると認識して統合しました。すると左下半身全体にすぅっとエネルギーが流れました。
「私の人生、ますます悪くなる」
このベースの意識が自分の前進をブロックします。
「前進したら大変だよ、ますます悪くなるんだから」
制限をかけ、自分で自分の前進にストップをかけているんです。
こんな大きな制限、誰かがもっている。それが自分の中にもある。
その事実をしっかりと認め、受け容れること。それが「地に足つける」作戦の主旨です。
「私の人生、ますます悪くなる」という意識エネルギーを統合すると、その先に「解放」「自由」があらわれます。制限が外れるから「解放」、そして「不自由という制限を外す」から「自由」が訪れます。
私は「自由」大好き人間なので、もしかしたらそれと同じくらいの「不自由」意識も感じていたのかもしれません。
「自由」も「不自由」も同等、同価値。
だから、今、「私の人生、ますます悪くなる」という意識が浮かんできてくれたのではないでしょうか。
「自由」にのびのびと自分自身を生きるために。
ちなみに左ひざの痛みには「人に屈することのみじめさ、特に対男性意識が含まれる」との解釈があるんだとか。
これ、ピンときてしまいました。
数日前、兄の奥さん、つまり義理の姉が「水腎症」という病気で倒れました。元々膝も悪く、その治療のために病院を訪れ、血尿が出て、すぐ入院。以前から腎臓にもトラブルを抱えていました。
兄から連絡がきて事の次第を理解しました。「ヒーリングしようか」と言うと「頼む」との返事。
ところが何日経ってもヒーリングの意欲がわいてこないんです。なぜなんだろうと思っていたらきょうの出来事です。
義理の姉の膝の痛みも腎臓のはれも左。
その姉の意識を拾っていたんです。「私の人生、前進するとますます悪くなる」、だから「前進したくないという制限」のエネルギー。
つまり「ここにとどまっていたい」あるいは「後ろに戻りたい」。
ヒーリングは基本「前進」に向けたものですから、徹底的に制限をかけていたんですね、義理の姉の意識が。
ところがきょう自然にその流れが変わり、「手放したい、前に進みたいの」という意識が伝わってきて、それを私の身体がキャッチして、左下半身に強いエネルギーが流れたのでしょう。
義理の姉は確かに「男性に負けたくない。男性に屈する自分がみじめに感じる」タイプ。結果自己否定に向かい続けるタイプです。でもこれって、もしかしたら全女性に共通する意識なのかもしれません。その「多い」「少ない」はあるにしても。
姉が倒れる数日前に私は腎臓の痛みをキャッチしていました。
今まで腎臓など痛くなったことがないのに左腎臓付近に激痛が走ったのです。
「ストレスなのかな。こんなに痛くなるまで私感じなかったのかな、ストレスがあるって」
ものすごく不思議に感じたのですが、ホッカイロをはって温め作戦。翌日には大分楽になっていたのですが、確かその二日後くらいに兄から連絡がきてびっくり。
この流れを整理してみると、おそらく私は家族や身内の人間のエネルギーは、人よりキャッチしやすくなっていて、特にその人が私に何らかの想いを届けている場合は、それが私の肉体を通じて私自身に感じさせようと何らかの働きにつながるのではないかと。
同時にそれを自己統合しなさい、というタイミングでもあるのではないかと。
人の意識だから。と退けるのではなく受け容れる。
私たちは今まで「負」のエネルギーは徹底的にブロックする、という考え方をしてきました。「いけない」ものは寄せ付けない。
おそらく、この考え方には限界があるのでしょう。「いけない」と思っている時点で自分自身を攻撃する、ということを感じないようにしているわけですから。
光だけを追いかける。
善・良だけを追いかける。
ポジティブだけを追いかける。
私のたどってきた道。けれど今はその道とは異なる道を選びました。
すべては一つ、だという考え方が今の私にはピンと来るようになったからです。
人の意識、価値観は変わりますね。いつも同じとは限らない。その変化の流れにどっぷりと浸ってしまう、身を任せてしまう。流れそのものになってしまう。
そんな生き方がいつかできるようになるのかもしれませんね。あなたも、私も。
※ 追記
当エッセイ、執筆スタート10時ジャスト。さらにきのうから何回も「36」の数字が目の前にあらわれています。さらに今、左の手首に激痛。そのメッセージは「拘束されている感覚からの解放」だそうです。
このように身体には宇宙からの叡智のメッセージが届くようになっています。なぜなら私たちは宇宙の一部であり、宇宙そのものだから。
宇宙は「特別」な何かではなく、私たちの命そのものが「宇宙」です。「宇宙」の神格化、特別視、「宇宙」は「もう手放して平気だよ」と言ってるような気がします。