□ 「依存症」だった天国の友へ
私は二年前、ふとしたことから自分が「愛着障害」であることに気づきました。「愛着障害」とは簡単にいうと、愛との適切な距離感がつかめない心の特性のことを言います。私はすべての人にこの心の特性は備わっていて、それがあまりにも「過剰」に膨れ上がると人間関係にその影を落とすのではないかと感じています。
その心の特性を調整するために、「自分で自分を受け容れる」という作業を始めました。
そして一年前。
今度は「書く」という行為によって「自己肯定」「自己受容」を行うための展開が始まりました。
あれから一年が経ち、やっと愛着障害の最大の難関である「心の安全基地」を自分自身の中に作り出すことができました。
すべて結果論です。気づいてみたらそうなっていた、という。私たちはこうやって、いつも知らないうちにあるべきところへ導いてもらっているのかもしれません。
その過程で以前親しかった友人の突然死の情報が耳に入ってきました。
今までたくさんの旅立ちを経験してきましたが、一時はかなり親しかったこと、その友人は健康情報の専門家だったこと、その二つの要因のお陰で私の心は乱れました。
なぜ ?
浮かんでくるのはその言葉だけでした。
彼女に関するさまざまな情報が耳に入ったきたものの、どれも「多分こうなのでは ?」というレベルのものでした。生前の数年間はお付き合いから遠のいていたため、ご遺族の方にご連絡をするのもはばかられました。
そんな中私の心に「彼女のすべてを認め受け容れよう。それが友人だった私のつとめだ」という想いが強く湧き出てきました。
彼女はホリスティック・ケアの専門家でした。その知識の量と質には素晴らしいものがありました。
一方、彼女は私が感じる限り重篤な依存症でした。彼女の販売する商品のほとんどは彼女の常備薬的存在でした。もちろんそれがいけないという意味ではなく、事実として。
なぜ私が彼女とのお付き合いから遠のいたかというと、それらの商品に心酔し信奉する彼女の様子に不安を感じることが多くなったからです。
そこまでしなければ私たちは健康に過ごすことができないのだろうか。
健康な今でさえそうなら、もし重篤な病気にでもかかったらどうするのだろう。
まったく素朴な疑問としてそれらが浮かんできていました。
それでも彼女の知識をもってセルフ・ケアを続ければ、健康に過ごせるのだろうとは感じていました。私の望む方法、選択する方法とは違うけれど。
その彼女の、想いも寄らなかった突然死。
驚き以外の何ものでもありませんでした。
彼女のクライアントの方が何人も私に連絡をくれ、いかに彼女が専門家として素晴らしかったか、いかに彼女が親身になってくれたかを話してくれました。それは嬉しい反面、もしかしたら誰一人彼女の本質を受け容れていなかったのでは ? と感じることにつながりました。もちろん私も含めて。
亡くなった人のことを悪くいうものではないと想いから、私は最初「彼女の素晴らしい点だけ」を考えていました。
けれどではなぜ突然旅立ったのでしょう。
運命だったのはわかります。
が健康であればまだ旅立つはずはないのでは ?
ということは本当は健康ではなかったのでは ?
そう考え出すと、「そういえば」という点がたくさん浮かんできました。
もちろん「憶測」です、本人には確認できないのですから。また健康だからよくて、病気だからよくないという意味ではありません。
でもどうしても何がしかの真実は探りたかった。大切な友達だったから、私の潜在意識は「なぜ ?」のリフレインだったのかもしれません。無意識のうちの作業として。
その中で「彼女は依存症だった。しかも重篤な」というものが浮かんできました。私の基準では、という意味です。他の方からすればあたりまえの範疇の場合もあるでしょうから。
「もしかしたらそれで自然治癒力を十分に引き出せなかったのかもしれない」
それが個人的にたどり着いた私の一つの答えでした。どんなに「ナチュラル」をうたったものでもどんなに良いとされるものでも「適切」に活用しなければ、リスクがうまれるのではないかと。私たちにとって最適な「ナチュラル」は「自然治癒力」なのだろう、と。
この時点で私なりに、ではあるけれど彼女について供養ができたのでは、と感じていました。
「自然治癒力を信じて」ということが彼女の最期のメッセージなのだと思いながら。
ところが先ほどさらなる「昇華」が進みました。
彼女は確かに「依存症」と思えるほど、商品に心酔し、信奉していました。けれどだからこそ、あれだけの知識をものにできたのではないか。その情熱を保てたのではないか。
彼女の知識で救われた人はたくさんいるはず。
私もその一人です。期間限定でしたが彼女の販売する商品で家族と私自身のケアを行っていました。当時は心の底からその情報を信頼していました。
とすると。
「依存症」と思える状態もまた彼女の個性だったのではないかとふとそう感じたのです。
彼女自身はおそらく何かが足りないと感じて、健康商品やヒーリング・グッズに依存するという生き方をしていました。それによって、他の人にもホリスティック・ケアを知ってもらうきっかけを創っていたのです。
結果、彼女は亡くなりました。
彼女の「依存」という傾向がその一因なのかもしれないと考えても不自然ではないでしょう。
だとすると、彼女には健康関連商品との適切な関係を人々に知らせる、という人生のお役目があったのではないでしょうか。
どんなものでも「過信」すれば好ましい結果を招くとは限らない、という想いと共に。
私は彼女の教えてくれた健康観にはプラスのところもあればマイナスのところもある、と感じています。
それが自然なのですよね。
どんなものでもメリットとデメリットがある。その中から自分にとっての「中庸」「ほどほど」を探しだせばよいわけですから。
彼女はすべては「バランス」という、大切な真理を教えてくれたのです。「依存症」という個性をもって。
彼女の「依存症」は私にとってはどちらかというと「良い」ものと判断することができなかった。今まで。
けれど「依存症」という個性があるからこその彼女の人生のお役目であり、生き方だったのだな、とストンとそのことが腑に落ちました。
彼女に対する何らかのわだかまりがあったとすれば、「なぜそんなに早くに旅立ったの ?」という淋しさからだったのかもしれません。人生の意味は長さにあるものではないのに。
今、すべてがわかりました。
すべて彼女の運命だったのだ、と。
それに「良い」も「悪い」もない。
彼女が命がけで残してくれた教訓を私の人生の中に取り入れさせてもらえばいいんだ。
そう思ったら、私は本当は彼女が大好きだったんだなと気づくことができたのです。大好きだからこそ、彼女を理想化する想いが強くなって、私の考え方と異なる彼女の見解に納得がいかなくなっていたのかもしれません。
生き方の違いを尊重できなかった。
人生の課題と目的の違いを尊重できなかった。
そのことに今、彼女が気づかせてくれたんです。
道は違いましたが、同じようにホリスティック・ケアを志す仲間でした。
彼女がいたお陰で私はホリスティック・ケアのデメリットを知ることができました。また私自身、ホリスティック・ケアというものを「神格化」する側面があったのかもしれません。
ホリスティック・ケアも西洋医学も同等です、フラットです、その価値は。もっとも本当のホリスティック・ケアには西洋医学も含まれるというのが私の考えですけど、日本では分けてとらえているのが一般的です。
フラットになったホリスティック・ケアと西洋医学。
そこからまた私流のホリスティック・ケアの道が始まるのでしょう。医療との適切な距離感が視えてきました。健康とか病気とかのくくりをこえたところに私の求めるものはあるのかもしれません。
言葉をかえれば、これまで私の中には健康に関する大きな不安があった、という事実が今、明確に浮かび上がってきてくれたのです。これからは不安ではなく希望と共に毎日を過ごしていこう。
希望こそが本来のホリスティック・ケアの意味だと思うから。
神聖なるもの丸ごと、命まるごとの意味です、「ホリスティック」のそもそもの意味合いは。
彼女の生と旅立ちのお蔭です。
彼女の命まるごとに「ありがとう」。
彼女と強く響き合った時期があるということは、私にも「依存症」のエネルギーが大きく存在しているということです。そのことをしっかりと受け止め、認め、バランスの調整をしていくことが私の人生の課題の一つなのかもしれません。
よく言われることなんですが、依存症をいけないと思いすぎると依存症にはまっていく、という事実。
心の依存傾向は誰にでもあるものです。自分に合った、自分なりの付き合い方を上手に探りつつ、依存症のメリットが引き出せるような生き方を楽しんでみます。
「依存症」がこの世にとっての「いけないもの」ではないという証明のために。
とここまで執筆したら「ごめんね、依存症ちゃん」という強い想いが飛び出してきました。
どうやら私は多くの集合意識と共に「依存症はいけないもの」と強く抑圧し続けていたようです。それは自分へのダメ出しにもつながっていたはずです。
依存症との上手な共存ができた時、私たちは真の自立ができるのかもしれませんね。
排除ではなく超えるのです、「依存症」という概念を。
彼女の旅立ちから5か月がたちました。
やっと心の底から「ありがとう。お疲れさま」の想いが出てきてくれました。
大切な友に捧げるうそ偽りない私の今の、気持ちです。
自分の中の心の安全基地を認識することができると、自然に「認知」のゆがみが調律される、という事実の証明をさせてもらえたようです。あちらの世界から彼女がサポートしてくれたのですね、きっと。
お互いの、命まるごとでの協同・協調作業だったのかもしれません。住む世界は違うけれど。
※ 追記
当エッセイは2018/09/13にほぼ執筆が終わっていました。ところが翌2018/09/14になっても何度も何度も書き換えさせられました。
想い出したのです。天国の友はこちらの世界にいた時、私が執筆した原稿内容の確認をお願いすると、何回も何回も直しのアドバイスをしてくれるタイプだったと。
彼女は「より正確と思える情報発信」に気を遣うタイプでした。
彼女の「依存症」はこういう「プラス」の面も生んでいたのです。
そしてそのプラス面は私の中にも存在している大切な個性の一つなのですね。
またまた自己肯定。