人生のダイヤモンドが見つかりました。人生に、かな、もしかしたら。
私は大きなピアスをしています。
リング型。
そのピアスにダイヤのチャームをぶら下げています。
この組み合わせは私の大のお気に入り。
最初はイヤリング派でした。
何度も何度もお気に入りのイヤリングを落としてしまって、また耳たぶがかぶれる感覚が増えたので、ピアスに変更。
耳にはツボがあるから、本来は穴をあけるなどNG ! という情報を知ったのは穴をあけてから。
運命変わっちゃうかな、体調悪くなるかな。といろいろ想いを巡らせましたがあけてしまったものは仕方ない。
以来、なんこお気に入りのピアスをなくしたことか。
イヤリングほどではないけれど、私にとって「耳」はなくしものとの闘いの存在なのかもしれません。
もしかしたら「さがしもの」の裏テーマだったりして。
さて、今朝、出がけになって左耳のピアスがないことに気づきました。
ちなみに私はお風呂に入るときも寝るときもピアスは基本したまま、です。衛生面などが気になる人もいらっしゃるかもしれませんが、少なくとも私の身体においては何も問題は起きていません。
そのピアスがない。
大きいピアスなので外で落としたらいくら私でも気が付くはず。
とは言っても現実には、外でいくつもピアスをなくしましたけど。
「ヤダ~、大のお気に入りなのに」
家じゅうを探しましたが見つからず。
そしてふと目を落とすと、なんと愛犬・華実のトイレのすぐそばに落ちているではありませんか。
ところが、です、ダイヤだけがついていない、輪っかだけしか存在しない。
まさか、華実君、食べちゃったんじゃないでしょうね。
あり得るんです、華実の場合。
基本華実には「嫌い」なものは存在しなくて、すべてがお友達というスタンスのコです。
ですから何でも口に入れる。
食べる。
今までも随分といろいろなものをお腹に取り込んでくれたコ。
ま、仕方ないか、何かの拍子に見つかるかもね、と感じたのですが、その瞬間、意識の反転が起きました。
ダイヤモンドの喪失。
それは言葉をかえると「外にダイヤモンドを探す必要はなくなったよ。なぜならダイヤモンドはあなたの中にいるから」というメッセージなのかもしれないな、と。
この辺の意識の感覚は理解できない人がたくさんいらっしゃるかもしれません。
たいていの場合は理解してもらえないかも、ですね。
でもいいんです、私はそう感じたので。
つまり。
私たちはダイヤモンドや宝の山を探して、様々なところに出かけようとします。
目を外に外に向けながら。
けれどある時気づきます。
すべてのものは自分の中に眠っている、存在している、と。
すべてを兼ね備えてこの地球に生を授かったはずなのに、すっかりそのことを忘れてしまって。
あそこでもない、ここでもない、あれでもない、これでもない、と世界中に人生のダイヤモンドを探し求めて、ふと気が付くと、なぁんだ、全部はじめからここにあったんだ、と気づくのが私たちの運命なのです。
その、「人生のダイヤモンドはここにあったよ」のメッセージを知らせるために、ダイヤモンドは自ら行方をくらます、という手を使ったんじゃないでしょうか。
すごくばかげた考え方。
でも「私はそう思う」。
だからきっとそうなんだと感じています。
きのうの夕方の瞑想時に左の耳にものすごい違和感を感じました。
ピアスがなくなったのはその左耳。
きのうの時点で、私の耳は何かを訴える気満々だったんでしょうね、きっと。
ちなみに左耳からのメッセージは。
「自分のいうことは誰も耳を傾けてくれない。自分のいうことは人が聞くに値しない、つまらないものだ」という意識の解放。
さらに、直感、直観とのつながりを否定する意識の解放でもあるんだとか。
私のいうことは、私にとってもこの世界の誰にとっても大切な、貴重なことばかり。
私の直感、直観は世界にとって唯一無二の光を放つダイヤモンドのようなものだ。
との意識の変換のサインでしょうか。
私たちが唯一無二の存在である、ということは私たちの感じること、視ること、それらの感覚などなどは他の何物にもかえがたい、ものすごく貴重な財産である、ということです、この世界における。
そのことをインプットしてこの世に生まれてきたはずなのに、どうしてみんな忘れてしまったんでしょう。
再び想い出すその日を楽しむため、ですね、きっと。
心の底から本当の自分を探り出す。
そのためにかなりの回り道を楽しむ。
ダイレクトに到達したのではおもしろみが減るから。
苦労して苦労してたどり着いた方が旅の楽しみがたくさん増えるから。
ピアス一個から壮大 ! なストーリーが生まれてしまう誇大妄想チックな私の意識です。
結構好きなんです、そうは言っても自分の意識。
私の耳には「なくしもの」「さがしもの」両方のテーマが隠れているのかもしれません。
「なくした」ととるか「みつかった」と取るか、その時々でとらえ方が変わるのでしょうね。
今回は「みつかった」に賭けてみようっと。